■5. 近赤外光トポグラフィーの応用例
5.1 新生児の脳機能イメージング
近赤外光トポグラフィーの応用は,表1に示すように広範である.医療から脳神経科学,認知科学,学習・教育まで多岐にわたる.ここでは最近の結果のみを紹介する.図8は,新生児の脳機能の計測結果である.ジャック・メレール教授との共同研究であるが,フランスにて数年間基礎研究を行ったあと,イタリアにて再度精密な計測を実施して発表した(11).心理課題の内容は,母国語の朗読(通常スピード)による聴覚刺激,同じ母国語のテープの逆回しに相当する聴覚刺激である.両者は音響特性が同等であるが,言語として成立するのは前者のみである.参照課題は聴覚刺激のない状態である.図8にテストの結果を示す.被験者は生後5日以内の新生児で,イタリア語が母国語となる.新生児への近赤外光トポグラフィーの応用をフランスで最初に実施したが,その際は世界で初めての応用ということでフランスの国立倫理委員会の審査を受けて承認を得た.イタリアでも当該の倫理委員会の承認を得て実施した.図8に示すように,母国語の聴覚刺激に対しては左の側頭葉が顕著に活性化している.しかし,テープの逆回しのように母国語ではない聴覚刺激に関しては,音響特性が同等にありながら,側頭葉の活性化は母国語に比較して弱くなっている.音(聴覚刺激)のない状態で,側頭葉はほとんど活性化していない.これらの結果から,生後5日以内の新生児でも,聴覚野の近傍が母国語に特異的な反応を示していることが分かった.
表1 近赤外光トポグラフィーの応用
分野
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内容
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特徴
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神経内科 |
失語症診断・研究
虚血性疾患評価 |
書字適用
簡便・高感度 |
脳神経外科 |
脳機能マッピング
てんかん焦点同定
大脳優位半球同定 |
簡便
動態計測
アミタール代替 |
精神神経科 |
睡眠・幻覚
精神病研究・診断 |
長時間計測
自然環境下 |
リハビリテーション |
方針決定・療法評価 |
運動時計測 |
小児科 |
乳幼児脳機能診断
療育・育児指針 |
低拘束・麻酔不要
安全 |
認知科学 |
行動・発達 |
自然環境下・安全 |
人文・社会科学
(教育・言語・哲学) |
生成文法・学習過程
教育法・自我意識 |
簡便・安全 |
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(a) 普通会話
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(b) テープ逆回し
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(c) 無音
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In collaboration with J.Mehler's group, International School for
Advanced Studies in Italy, Proc. Natl. Acad. Sci. USA. (2003)
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図8 母国語を聞いた際の新生児脳活動の観察
(MRIによる形態イメージングに近赤外光トポグラフィーの画像を重ねて表示)
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このテストの結果から,二つの可能性が考えられる.自然に考えられるのは,新生児が胎児の間に母国語のイントネーションやアクセントなどの特徴を,母親の胎内で学習している可能性である.新生児が胎内環境で聞いてきた音と類似の音に反応することは,行動実験からも明らかにされている.胎児の聴覚機能は,一般に視覚機能より早く発達することが分かっている.実際に胎児を三次元リアルタイム超音波撮像装置で観察すると,母親の体外からの音に反応して顕著に行動が変化することが確認されている.フレキシッヒ(P.
Flechsig)の髄鞘化の研究でも,聴覚基本機能に関しては比較的早期に髄鞘化が起きていることが指摘されている.もちろん,聴覚連合機能の完成はずっと後になるが,音の基本的な性質(リズム・ピッチなど)の一部をとらえている可能性がある.
もう一つは言語に対して特異的に反応している可能性である.テープの逆回しに相当したものは,一部の偶然で発生する語を除いては言語とはかけ離れたものである.当然,人間固有の基本文法も存在していない.新生児が遺伝因子として,言語に特有に反応する神経あるいは神経回路を備えている可能性も,生成変形文法の立場からは捨てきれない.この点は,現在,母国語と他国語にて比較を行うテストを準備している.
なお,行動学的な実験(吸てつ反射によるじゅん化法,ほか)によって,乳幼児が英語の子音のLとRを区別ができることが確認されている.しかし,日本語のみの環境で育つことにより,この能力は一年程度で消えていく.生後1年の間は,神経シナプスの過剰形成と刈り込みによる機能とう汰が行われる期間である.すなわち,環境への最適な適応のために,環境に存在しないものに対する不要な情報処理(むしろ雑音)は臨界期によって外されていくと考えられる.英語を母国語とする人々には,英語の子音のLとRを範ちゅうとして認知する.すなわち,コンピュータでLとRの配分を変えた合成音を作成して聞かせると,配分が多い方の音を認知する.これは色の範ちゅう認知とも類似している.
なお,成人の言語野を近赤外光トポグラフィーで計測した例を図9に示す(12).図には近赤外光トポグラフィーによるブロカ野(Broca's
area)並びにウエルニケ野(Wernicke's area)の観察結果を示した(東京女子医科大学脳神経センタの岩田誠所長グループとの共同研究).書字課題と交互に,参照課題としての偽文字の模写を行い,両者の差の画像を提示したことである.発話性の言語野であるブロカ野の活性化が前頭葉44野・45野付近に,聴覚性(意味理解)の言語野であるウエルニケ野の活性化が側頭葉41野・42野付近に観測される.書字課題の場合,提示された絵を理解して言葉を想起し,それを文字として発現させねばならないので,ウエルニケ野とブロカ野の双方が活性化するものと考えられる.
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In collaboration with M.Iwata's group, Tokyo Women's Medical
University |
図9 書字の際に活動する大脳言語野の観察
(MRIによる形態イメージングに近赤外光トポグラフィーの画像を重ねて表示)
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この計測はfMRIでは困難である.まず,心理学的見地からは,文字を書くには通常,机に向かって座って書く習慣があるため,fMRIのベッドに横たわって文字を書くこと自体が不自然な行動となってしまう.また,自然な書字の際には,腕を頻繁に動かすために頭部が揺れるので偽像が生じやすい.近赤外光トポグラフィーは座ったまま計測が可能であり,また,動きに対して偽像を生じ難いのでこのような計測に適している.
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