VNV20130323議事録 1: 問題提起1(高梨) ・文系(理論)と技術(工学系),VNVの活動は「分析」を接点として,両者の間で行われてきた. ・フィールド調査をいく人は何をしにいくのか?フィールドにいって何が嬉しいのか?フィールドの成果を経て,どうやって分析に落としこむのか? ・理論と工学の接点を持つことができるのか? ・フィールド情報学:統制されていないなど. ・フィールドになぜいくのか?:たとえ撮影されなくても起こるはずのものを対象.参与者のリアルな動機が必要だ→懸案事項「気になるのは」の分析⇔人工的コーパス ・日常環境「自然な複雑さ」→会話+パソコンなど関与配分の分析⇔無菌室のような「実験室」 2: 問題提起2(岡本) ・工学系,文化系の研究者の立場について. ・工学系の自動認識などが,工学者ならではの発見を見つけるものなのか?それともお膳立てして,文系の研究者に対して渡すということなのか?どちらのスタンスなのか? ・工学者にとって,人間はどういった対象なのか? ・人間は常に正解を叩きだすわけではなく,様々なリソースを利用して,複雑なモデルの提示するのか?それとも人間の研究者には限界があるので,それを超えるのか? ・工学と文系の違い,特に人間の扱い.大塚さんは(理系の)技術者と(文系の?)研究者を兼ねている. ・文系の研究者のアノテーションなどから得られるデータが存在し,それらを作り出すのは職人知によるものなのか?またそれらのデータは正解なのか? 3: 問題提起1,2への返答(榎本) ・文系の発見を工学に渡し,応用,成果を出す.工学と文系とが同じ対象にフォーカスして,異なる分析を行なって持ち寄ることがよい. ・分析可能であることだけに対して,着目しすぎた結果.それが見たかったものなのか?それだと,研究して,喜びや楽しみといったものには辿り着かないなのではないか? ・トップダウンかボトムアップか? ・野沢にいってみると,圧倒的迫力で人間の存在感を感じる.それを明らかにすることができればよい. ・ロボットや会議システムといったものは実現できたら,何かが嬉しいのか? 4: 3への追加(坊農) ・圧倒的迫力とは,例えば会話分析・ジェスチャー研究などの既存のルールを持ち出すと,圧倒される.そんな既存の理論を超えたフィールド上の現象を,どうやって理論をアップデートするのか,といったことに注意がいってしまう 5: 問題1,2への返答(大塚) ・現実の社会の問題に対して,答える必要がある. ・その上で,会話分析といった学問が何ができるのか?ということが問われる.理論がなくても,会話はできている. →研究の中で(例えば,医療や飛行よりも)プライオリティが低い? 6: 問題2への返答,5への追加(高梨) ・フィールド調査において,コミュニケーションで必要とするものはガジェットなどのヘルプではなく,すでにもっているリソースを利用して会話が成立していると仮定するならば,そこで果たして何が出来るのか? ・コミュニケーション研究やコミュニケーションをヘルプする機器が,実際のコミュニケーションに対して寄与することは困難であるという事例が多々存在する ⇔フィールド情報学の人々は,情報学はフィールドに出る必要があるし,逆にフィールドにおいて情報学が必要であるはずだとも考えている 7: 問題1,2への返答(岡田) ・非言語的なものを文系が分析して,仮説を作り出すということがあるので,工学はどうしても近似になってしまう. ・文系は暗黙知のようなものを取り出すエキスパートとして扱い,その分析を蓄積データベースをしていくことで,その後検討する. 8: 7への追加,問題提起3(高梨) ・文系では「何を」取り出すかということが重要.理工系では「どのように」取り出すかということが重要 ⇔フィールドにいって,文系の人々は容易には取り出せないものを示そうとしている 9: 問題3への返答,問題提起4(榎本) ・フィールドにいってしまうと,現場の人々と接する必要があり,その中での着地点がある.しかしながら工学は,成果物を使ってもらうことが着地点となるが,文系は違う. ・文系は現場の人々へのフィードバックとしては彼らが行なっていることへの「理解」を示す,「理解」をするという着地点が存在する.その着地点にとって,工学系はどのようなことができるのか? 10: 問題提起5(高梨) ・共通の焦点から開始して,ということから考えて,共通の目標(例えば人類平和).分析した結果を現場にフィードバックすると,その分析の正否ではなく,「的外れ」か否かということの方がむしろ重要になる.その的外れを積み重ねた結果から作られた工学による成果物が果たして,的外れではないということになりうるのか? 11: 問題提起4への返答(平山) ・もの作りのではない工学系として,「職人知」的なものを取り出そうというのがひとつのスタンス.プロの人の知識というのを利用して,データを見ていく中で,スキルなどを顕在化して,他のものに適応していくことで,orにつながっていき,フィードバックしていくことができるといいな →エキスパート・システムとの違いは?同じように聞こえる(高梨) →同じかもしれない(平山) →エキスパート・システムは最初は,人間の代替わりであるが,最終的に人を超えてもよいはず.そういう地道な作業も必要だが,どうやってフィードバックしていくのか(高梨) 12: 問題提起1・2への返答(参加者1) ・文系:理論,工学系:成果という主従関係はおかしい →社会デザインなど,文系の人たちは荒っぽいことを言ったとしても,それでは駄目ではないか?メカニズムデザインなど(特に情報学において) 13: 問題提起5への追加(高梨) ・実際の情報学において,上記の理想論的なことを言える人々がどれほどいるのか?社会デザインなどを提示できたとしても,それを利用して,どうやってフィードバックしていくのかということがわからない(高梨) →様々なシュミレーションなどが行われている(参加者1).人間機械系のシステム全体をデザインする. 14: 問題提起5への返答,13への追加(湯浅) ・ロボットやAIには様々な研究があって,計算系といったようなものはすべてできなければならない.(⇔可能であることでしかない.) ・一方で,アルゴリズムといった精緻なものはないが,こんな感じかなといった荒っぽい概念を示すという研究も存在して,それと文系の研究のブリッジとなる? 15: 問題提起5への返答(榎本) ・量問題とモノ問題の違い.量問題を解決できることで,モノ問題を解決できるのか? →木に登ることは,方向は合っていたとしても,やはり月に到達することの第一歩とはなりがたい(ドレイファスのAI批判)(高梨) →文系の人たちがフィールドにいって問題を複雑化している(高梨) →一方で理系は問題をシンプルにしすぎている(榎本) 16: 15への返答(榎本) ・フィールドという複雑なものを,どのように整理・剪定する作業が必要 ・その中で,とてもシステム的な考え方をする人が必要であり,またシンプルになりすぎないように種をもっていくことが必要 17: 15への返答(岡本) ・モデルと実質の話が混同されている.文系理系ともに歩行のためのモデルをつくってきて,成果によってモデルをアップデートしていく. ・フィールドの理解というのは外在的な観察によるモデルでしかない.そのモデルを現場の人が受け入れるのは,あくまでもモデルの理解にすぎない 19: 15への返答(坊農) ・工夫として,SCの評価尺度を作ることをしている.研究者が持ち出すモデルというものを一緒に作り出すという方法論.その中で,線引の問題が存在する. 20: 問題提起6 (榎本) ・昔の哲学者はどうやってたのか? 21: 問題提起への返答(岡本) →ハンソンの観察の負荷性.観察はモデルにもとづいている. 一方でフィールドワークの重要さはモデルを破壊して,再構築していくという課程が重要である.モデルのすりあわせのなかで,一般の人も持っているモデルとの摺合せといったことが重要 22: 問題提起7(高梨) ・社会デザインといったものにひきつけて考えると,フィールドにいって理解するという研究者の活動は,他の一般的な「他者理解」とどこが違うのか?社会デザインに繋がるものではない?そんなにわかりやすくデザインするものではない?というジレンマ 23: 問題提起7への返答(参加者2) ・文系の人間として,何のためにフィールドワークするのか?何らかの形のアクションリサーチをする必要がある. ・情報の扱い方で文系・理系を分けられる.暗黙知(野中郁次郎)といった数値化できないものであり,これは文系の領域であり,これを形式知するときに理系的アプローチが必要になる.例えば場の生成など.分業可能,外部観察ではなく,参与者として 24: 問題提起7への返答(高梨) ・アクションリサーチについて.単に録音させてくださいではなく,何か気づいたとしたら,それを言って実行する.しかしそれらのフィードバックの中で,よき影響か悪い影響か?知識創造プロセスといった循環型は,VNVの中でもある程度できるのではないかと考えている.要素還元主義というのは必ずしも悪ではなく,選んだ要素が間違っていないかということが重要である 25: 問題提起7への返答(吉川) ・実験室の環境と対比して,日常?祭りは日常?非日常なのか?どこまでいったら日常ではなく,日常となるのか?そうなった中で,日常のフィールドがあった中で,その中で日常性が図れるとしたら.フィールドの類型化をしなければならないのではないか?二者三者の対比構造ではなく,より多数の中の対比構造を作らなければならない 26: 問題提起7への返答(坊農) ・フィールドに着目しているのは日本の研究系だけ(?),なぜ?ワークプレイス研究(仕事)や儀礼的研究(祭り)などは人類学・民俗学という範疇.しかし日本はそれらの領域と情報学が接近することがあるのが特徴的 27: 問題提起7への返答(参加者3) ・フィールドと実験では,対象が変われば,興味も変わるのは普通.興味がたくさんあれば,方法論は変わって当然である. →様々な興味は,一つの一本の芯が通っているはず 例:細馬さんなど(高梨) →フィールドの類型化:細馬研究の類型化は出来てない(顕在化していない).精神病院とか,野沢といった閉鎖系への興味?実験の方法論だけでは駄目であり,実験の精密さとフィールドの粗さを認識する(榎本) 28: 問題提起8(参加者4) ・どこまでがフィールドなのか?ワークショップはある意味「仕切っている」のではないか?フィールドにしても,カメラでもメモでも,記録するという行為が入ることは本来のフィールドなのか? →実験統制されているのか否か,研究者が見たいもの見たくないものを区分けして,見たくないものを排除できないのはフィールド(榎本) →収録が行われなくても自然に起こったはずの事象はフィールド.ただし,どのレベルで起こっているのかは不明.誰かによってデザインされているワークショップなどはどう位置付ける?(高梨) →カメラが入ったからこそ起こったシークエンスがあるのは当然.SCが不自然なリソースであっても,それを利用して,仕事を行なっているというのが興味深く,研究対象となる.カメラを事前に教えていたとして,それを気にしなくなったとして,それは自然?(坊農) →集まってくださいといって来てもらうか否かというラフなレベルの分類.さらに,ディープな区分けが必要?二分化できる?(高梨) 29: 問題提起8への返答(参加者5) ・幼児のデータ収録,自宅で収録.そこで「録音開始」という言葉を幼児が復唱している.2歳半くらいまで,録音されていることはわかっていない?4歳になると親子喧嘩のようなものをとれる.何度もカメラが介入することによって,動揺の程度は変わってくるはずである.なので,カメラにふれてから始まる会話はとても自然である.何をフィードバックするか?養育場面で母は(自分の育児のやり方が)これで合ってるのかを聞きたい.しかし,それに対して類型化などでフィードバックできるのか?研究者は何をフィードバックできるのかわからない. 30: 問題提起9(高梨) ・フィールドにいって,その場の人になることはある.当事者よりも劣った理解しかできない研究者の存在意義とは? ・フィールドワークをするつもりではなく,フィールドワークにいってしまうことの重要さ.人類学者に怒られてはいけないわけではないし,作法に縛られる必要はない. →震災復興といったことに研究ではないと思いつつ関わり始めたら,研究になった.フォーラムの後,何か発表してフィードバックする.研究者ではない人々の,ロジックの足りなさに対して,何かコンセプトを提示する.いつの間にかフィールドにいったあとで気がつくということが重要なのでは?トップダウンではなく,ボトムアップ.気づくことの重要さ(参加者6) →フィジーの儀礼に関する研究.内部観察者,統制,何かをつくるという工学とフィールドの関係.実験室でやる統制の目指すものは一般化であり,工学の成果は一般化を目指しているのか?要素還元主義と一般化.エミック(ケーススタディ)とエティックの区別(参加者7)