解 説
脳をくすぐるアート

小特集
ディジタルヒューマンインタフェースの新潮流

解 説

脳をくすぐるアート

神谷之康 Yukiyasu Kamitani 京都大学

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はじめに

動物学者でありシュルレアリスムの画家としても知られるデズモンド・モリスは,アートを「脳を楽しませるため,日常的なものから非日常的なものを作り出すこと」と定義した(1).人文学的にもっと洗練された定義はあるだろうが,脳がアートに介在しているのは確かだろう.アート体験の基盤は,知覚・記憶・感情などに関わる脳の機能である.文化的・歴史的な解釈も重要だが,それらも脳にコードされる情報と考えることもできる.脳が美や醜にどのように反応するかを脳イメージング等を用いて解明する「神経美学」という研究分野も生まれている(2)

アートの制作にも脳は不可欠であろう.手や指の運動は脳によって制御されているし,制作中の作品を評価しながら試行錯誤する過程でも脳は欠かせない.AIによる画像生成や文章生成の技術が近年急速に進歩し,人間のみがアートの創造性を持つのかについて活発に議論されている(3).しかし,AIを脳の代替物,あるいは,脳を補完するものと位置付けている限りにおいて,アートにとっての「脳的なもの」の重要性は容易に失われそうにない.

アートに脳が介在していると言っても,脳が何をやっているのかを直接見ることは難しい.数百億の神経細胞(ニューロン)のネットワークから成る脳は,入出力を担う限られた部位を通じて身体と接続しているにすぎない.身体との接続は脳にとっては情報の「ボトルネック」であるとも言える.では,身体を介さず「ボトルの中」の脳とやり取りしながらアートを生み出すことはできるだろうか.これにより,身体的制約から人間の創造性を解放できるだろうか.あるいは,現在のアートとは別の何かになっていくのだろうか.

本稿では,私の研究室で行ってきた「脳内イメージ」を解読する方法を解説しながら,この研究成果をきっかけとして始まったアーティストとの交流を紹介する.我々の研究の目的は,脳が外界や心の状態をどのように表現しているかを理解することである.そのために,脳計測データから人が見ている画像やイメージを再構成する方法を研究してきた.技術的な性能不足や被験者の内部状態の揺らぎなどによって,予想外の出力が得られることがある.これが,見る人に奇妙な感覚をもたらしたのであろう.多くのアーティストやミュージシャンとの交流が生まれ,脳から生成した画像や動画像がアート作品の素材として使われることとなった.

脳から生成されるイメージは,通常の意味で「きれい」や「美しい」と感じるものではない.現代アート作品の多くも同様だろう.しかし,何か奇妙な感覚・面白さを感じさせてくれる.その状態を表すために,ここでは「脳をくすぐる」という表現を使ってみたい.

「くすぐったい」という感覚の一般的な特徴として,①特定の皮膚の部位で敏感である(ツボがある)こと,②皮膚に虫がはうような「普通ではない」状態の検知に関わること,③自分で自分をくすぐるのが難しいことが示唆するように,期待や予測が重要な要因であること,④嫌がりながらも笑ってしまうような,複雑な情動とリンクしていること,などが挙げられる.アート体験と触覚的なくすぐったさが同じ生理学的メカニズムで生じていると主張するつもりはない.しかし,上記のくすぐったさの特徴は,現代アートに関わる中で体感したアートの楽しさと共通する部分が大きいと感じる.

神経美学では,美を感じるときに活性化する脳部位を調べる研究がある.しかし私は,「美の脳中枢」を活性化させるというより,もっと分散的でダイナミックな脳のプロセスがアートの楽しみとリンクしているのではないかと考えている.「脳をくすぐる」の更に具体的なイメージを,脳やAIと対応させながら提示していきたい.………