私の研究者歴 My Frontier Journey
生涯一研究者のこだわり人生論

私の研究者

My Frontier Journey

生涯一研究者
こだわり人生論

唐沢好男(正員:フェロー)

昭48山梨大・工・電気卒.2年間会社勤務の後,昭52京大大学院修士課程了.同年国際電信電話株式会社(KDD)入社,研究所勤務.衛星通信の電波伝搬の研究に従事.平05-09国際電気通信基礎技術研究所(ATR)出向,研究室長.平11電気通信大学教授.平28同大学名誉教授.博士(工学).IEEE life Fellow.平15-17本会アンテナ・伝播研究専門委員会委員長,平12-15日本学術会議電波研連F分科会委員長.本会論文賞(2件),本会通ソBest Tutorial Paper Award(2件),電波功績賞(ARIB),優秀研究賞(ICF),科技庁長官賞(注目発明),東京都功労者表彰(技術振興功労)等各受賞.著書「ディジタル移動通信の電波伝搬基礎」,「電波システム工学」(共著),「無線通信物理層技術へのアプローチ」など.

電気通信大学名誉教授 唐沢好男

電気通信大学名誉教授唐沢好男Yoshio Karasawa

1. 自己紹介

「私の研究者歴」に執筆依頼を頂いた.これまでのこの欄,業績豊かな著名な皆さんに比べて,かなり狭い分野の研究に一筋の私を知る人は少ないと思う.しかしそれでも執筆依頼を受けたのであるから,一応,語る資格はあるということを信じて,こんな私でもできた,こんな私だからできた,ということを,次世代を担う若い皆さんにお話し,それなら自分も,と思う力の後押しができたらうれしい.

私の研究分野は,40年以上にわたり電波関連一筋である.小さいときから宇宙にあこがれ,電波の不思議に魅せられて,それで…,というお話ができれば格好が良い.でも私にはそれがない.

私は,1950年,南信州の山村に生まれた.今でもかつての村には一つの信号機もないへき地である.農家の普通の暮らしの中には平穏な日常があるだけであって,それ以上のものはない.大学に入っても特に何をやりたいという具体的な目標はなかった.大好きな将棋の腕を上げてプロになれたらとか,漱石や太宰に夢中になって小説家もいいな,と思うことはあったが,客観的に見ればそれは妄想の類いである.そうこうしているうちに,4年生になり,卒業研究は亜硝酸ナトリウムの結晶成長のテーマについた.坩堝(るつぼ)の温度調整に手間暇かけ,結晶が成長する姿を見守るのは意外と面白くて,失敗を重ねながらも(炉を加熱し過ぎてあわや火事にという事件も経て)没頭できるものを感じた.卒業して就職した会社では卒研の経験が生き,半導体課という部署への配属になった.棋士や小説家への夢が消えた今,学んだオームの法則で人生勝負するしかない,とだんだん気づいてきた.それなら,この分野,量子力学を本格的に学ばなければ駄目だ,そうだ,大学院に行こうという気になった.入社2年目の夏,京大の大学院を受け,幸い合格し,翌3月で会社は退職した.当時の京大の大学院入試は全員受験の面接なしで,他大学出身者にはプレッシャーが少なく受けやすかった.24歳のときである.

合格し,いざ,研究室を決めるという段階になり,希望する物性関係の研究室は満員ということが分かった.電波の研究室がまだ空いているという説明を受け,そこに決めた.シュレーディンガーを神様とする世界から,マクスウェルを神様とする世界への宗旨替えである.あがめる神様は替わったが,技術を高めたいという目的は同じであり,この宗旨替えを素直に受け入れることができた.偶然が導いてくれた電波の道であったが,その後の40年以上を歩み続けてみると,そこには面白いことが一杯あった.

この出来事は,晩年,大学の教員になってから,学生の悩み相談に生きた.大学では,卒業研究のための研究室選びとか,就職先の会社選びとか,思う………