若者よ、世界に出よう!
日本での経験で得たもの

日本での経験で
得たもの

(株)国際電気通信基礎技術研究所 Maharage Nisansala Sevwandi Perera

1

はじめに

2015 年9 月,私は博士課程の学生として新しい人生の旅を始めるべく来日し,現在は日本の研究機関で研究員として働いています.多くの困難がありましたが,この6 年半の日本での生活は,私を良い意味で大きく変えてくれました.本稿では,私の日本での経験について紹介します.

2

日本への留学の決意

スリランカでソフトウェアエンジニアとして働きながら修士課程を修了した後,私は更なる進学を望みました.スリランカで勉強を続ける選択もありましたが,外国の文化や生活を体験するために留学を考えました.日本の近代的な技術,美しさ,文化に惹かれましたし,進学先候補であった埼玉大学の指導教授の前向きかつ丁寧な御対応に,進学の意欲が高まりました.当時就いていた仕事の給料は申し分なく,また,既に大学の奨学金の募集は終了していたため,全額自費での留学となったのですが,強い思いと決断力で仕事を辞め,埼玉大学の博士課程に入学しました.

図1 オーストラリアに住む弟夫婦を訪れたときの家族写真(右から2 人目が本人)

図1 オーストラリアに住む弟夫婦を訪れたときの家族写真(右から2 人目が本人)

3

学生生活での学び

埼玉大学では暗号基盤研究室に所属し,匿名認証技術の一種であるグループ署名についての研究を行いました.

当時,私は日本語が話せず,研究室の日本人学生も余り英語を話すことができなかったので,最初の数か月は研究室内での意思疎通がうまくいかず,大変だったことを覚えています.それでも,私と日本人の研究室仲間は,互いの言語を忍耐強く学び,次第に会話ができるようになっていきました.また,私と同じく海外から来ていた留学生仲間は,当時ホームシックになっていた私が状況を克服できるように支えてくれました.日本人の研究室仲間はミーティングで,自分の研究内容を英語で発表して,私のような留学生が理解できるようにしてくれました.彼らはよく冗談で,私が来る前に知っていた英単語は五つだけだったけれど,私が日本語を話せないので,私のために英語を勉強したのだと言っていました.………

図2 研究室で指導教授と友人とともに(上), 研究室仲間と中華料理店にて(下)

図2 研究室で指導教授と友人とともに(上), 研究室仲間と中華料理店にて(下)