巻末言

巻末言

二者択一ではなく中庸を(With コロナ時代の学会活動)

2022 年度通信ソサイエティ会長 辻 ゆかりYukari Tsuji

本記事を書いている2022年1月,COVID-19オミクロン株が流行の兆しを見せており,再び,緊張感が漂い始めている.この2年間,学会活動を含む社会活動全般で,直接人が触れ合う機会が激減し,リモート中心の生活を強いられるようになった.ちなみに,通信ソサイエティで新設された国際会議ICETCも既に2年連続,リモートで開催されている.

リモート会議の普及は,様々な観点で我々に大きな利便性をもたらした.リモート会議では,まず移動時間がいらない.したがって,移動時間の分まで打合せがセットでき,かつ,遠方の相手とも打合せ時間さえ合えば会議可能となり,従来に比べると圧倒的に仕事の効率が良くなった.移動がなくなった分,会社のみならず,学会や各種対外活動においても,リアル会議が実施される場合に比べると交通費や会議場費用等が大幅に削減される結果となった.また,自宅からいろいろな会議に参加できるので,これまで小さいお子さんの世話や介護等で時短勤務だった方が,それ以外の人たちと同等に仕事ができるというメリットも生み出した.かくいう私も,コロナ禍においてちょっとしたけがをしたのだが,けがをした翌日から仕事に穴をあけることなく,普通に会議にリモート参加することができ,数か月たって全快してから,「あのとき,実はけがしてたのよね」と自己申告するまで気づかなかった同僚もいたぐらいで,リモート会議が当たり前になっていてよかったと実感したものである.

一方,コロナが少し収まり始めると,「会って話したい」という欲求が急激に高まり,リアル会議が増えてきた.あるとき,それまでリモート会議でしか会ったことがなかった方と初めてFace to Face で打合せをさせて頂いた際の第一声は,「直接会うとずいぶん印象が違うなぁ.こんなにフランクな方だったんですね」であった.リモートでは効率良く会議を進めることはできても,初めて接する人に対して人となりを伝えるには,まだまだノンバーバルコミュニケーションの部分で足りていないということを改めて気づかされた瞬間であった.

リモートでは会議の進行や話者に集中するので,場の雰囲気というか,議題には直接関係しないことだったり,話者以外の人たちの様子や空気感までは分からないのである.例えば,自らがプレゼンをするときも,通常であれば,聴衆の雰囲気を感じながら,話の流れや言葉のチョイスを変えることもできるわけだが,リモートでのプレゼンではどうしても一方的な話にならざるを得ない.また,新規案件の企画立案段階で,ブレーンストーミングをしながらアイデア出しをしようというような場面では,先んじて個々人のアイデアを資料化しておく等の工夫が最低限必要で,まっさらな状況からのアイデア出し議論はリモートではやりにくいのが実情である.ホワイトボードへの殴り書きや,打合せの合間に休憩をとりながら雑談の中から出てくるちょっとしたヒント,実はそうしたことがアイデア創出の源泉になっていたのだと思う.以上,リモートとリアルにおける長所と短所を振り返ってみた.

今後,現在のコロナの状況がどうなっていくかは,残念ながら現時点ではよく分からない.早期にコロナが収まり,通常の活動ができるようになることを祈るばかりであるが,果たして元どおりの活動に戻すことがいいのだろうか.先に述べたように,リモートとリアルには,双方に長短があり,リモートを許容できるようになったメリットも引き続き享受していきたいと願っている人は多いのではないだろうか.学会活動においても,この2 年間はほとんどがリモート活動にならざるを得なかったわけであるが,今後はコロナの収まり具合をみつつ,リモートとリアルの中庸(どちらかに偏ることなく,調和がとれている状態)を模索することが重要と考える.ただし,ハイブリッド形式になると,リアルとリモートの両方に対応するため,費用が増大したり,スタッフの負担が増えたりする恐れもある.そうした意味では,利便性とコスト(稼動含め)の中庸についても考えていく必要があると言える.

リモートとリアル,利便性とコスト,それらの二者択一ではなく中庸を見つけることにより,With コロナ時代においても様々な技術を生み出す場を皆さんとともに協力して作り上げていきたい.電子情報通信学会の使命は,“通信”の可能性を最大限に生かして,豊かな社会を創るために必要な技術を生み出すことだと信じてやまない.

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