マルチメディアで若返る人生
---顔の通信と信号処理---

荒川 薫 (明治大学 理工学部 情報科学科)

1. はじめに

最近のマルチメディア通信環境では, 顔画像をディスプレイ上に表示する機会 が多くなった. テレビ電話の普及はまだ先のことだが, ホームページにおける 顔情報の公開や, 電子メールでの顔画像添付など, 実に身近なものである. そ こで, この顔画像の通信を考えると, 従来の通信における概念が必ずしも通用 しない. すなわち, 従来の通信では, 送り手側の情報をいかに正確に受けて側 に伝えるかが, 究極の目標であったが, 顔画像の通信に関しては, 必ずしもそ うではないのである. ここには, 人間の心理が働く. 人は誰でも写真写りを気 にするように, 自分の顔を少しでも良く見せたいという心理がある. 従って, 自分の顔を忠実に伝える通信システムと, 自分の顔を実物より良く伝える通信 システムがあったら, 後者の方を望ましい通信システムとして選ぶであろう. もちろん完全に人相が変わるほど真の情報から離れるわけにはいかないが, 本 人の識別ができる程度に加工を施して, 本人に望ましい画像信号に変形したも のを伝送するという新しい通信形態が人々の支持を得るであろう.

ここでは, このような通信形態を実現するための新しい画像処理を取り上げる. 特に, 肌の皺, しみ, 湿疹など, 不要な凹凸成分を除去し, 顔を美観化する非 線形フィルタを紹介する. 人間は, 昔から, 肌の皺などをいかに目立たなくす るかについて, かなり真剣に悩んできたが, 電子メディアの世界では, それが いともたやすく実現できることを示す.

2. 顔とディジタル画像処理

肌の皺, しみ, 湿疹などは, 一般に周波数が高い信号であるので, 低域通過フィ ルタ処理, すなわち, ぼかしを加えることによりある程度目立たなくすること ができる. しかし, これらを完全に消そうとすると, 画像全体がかなりぼけて しまう. そこで, 画像をぼかすことなく皺, しみ, 湿疹などをとるには, どの ようにしたらよいかという問題に突き当たる.

一方, 画像処理の分野では, 画像に雑音が加わったとき, これをいかに除去す るかについて, 30年以上も前から数多くの研究がなされてきた. まず, 信号理 論に基づき推定誤差の二乗平均を最小とするウィナーフィルタなど, 最適線形 フィルタが考えられた. しかし, これらは, 画像がある一定の定常的確率モデ ルで表されるという前提でのみ有効なものである. 実際の画像は背景などの平 坦部と輪郭などの急峻な変化部からなる非定常信号であるので, このような最 適線形手法は現実の画像に対しては有効性が少なかった. 一般に線形フィルタ は, 信号の周波数領域での信号分離を行なうものであるので, 線形フィルタを 使う限り, 画像の平坦部を平滑化しようとすると輪郭がぼけてしまい, 輪郭を 鮮明に維持しようとすると, 雑音が除去できないというジレンマに陥る. そこ で, このような線形フィルタの限界を打破しようとして考えられたのが非線形 フィルタである. 非線形フィルタというと, Volterra 級数展開を用いるよう な複雑な非線形式で表されるフィルタを連想する人が多いかもしれないが, 時 変線形フィルタなども広い意味で非線形フィルタの範疇に入るし,また, メディ アンフィルタなど, 信号の順序統計に基づくフィルタも非線形フィルタである. 特に, 画像に加わった小振幅ランダム雑音を除去するためには, 画像の平坦部, 変化部に応じてフィルタ係数を変化させる時変線形フィルタタイプの非線形フィ ルタが効果的である. このタイプのフィルタは, 常に輪郭の内側の信号のみ使っ て平滑を行なうので, 輪郭をぼかすことなく, 雑音を十分平滑することができ る. このようなフィルタの一つとして提案されたのがε-フィルタである. ε- フィルタの詳細は文献[1]を参照していただきたいが, これは, 他の輪郭保存 型平滑フィルタと比較して, ハードウェア上で実現しやすい, 処理点(フィル タ窓の中央の着目点)の信号値を尊重するので後で示す顔画像処理などに用い ると, 顔の奥行き感を損いにくいという特徴を持つ. なお, メディアンフィル タなどの順序統計に基づく非線形フィルタは, インパルス性雑音など, 大振幅 孤立性雑音の除去に効果的である.

そこで, 先の顔の話に戻るが, 顔の皺, しみ, 湿疹など, 肌の美観を損ねる 成分も, 一種の雑音と見なせる. しかも, これらは目に付くわりには, 意外と, 信号振幅が小さい. すなわち, 小振幅高周波雑音である. ここで, 画像処理の 分野で培われてきた, 非線形フィルタの研究が役立つのである.

3. 非線形フィルタによる顔画像美観化

非線形フィルタにより顔画像を処理することにより, 肌が滑らかになり美観化 されることを示す. 図1はε-フィルタにより, 皺成分の除去を行なった結果, 図2は湿疹を除去した結果である. 従来の線形低域通過フィルタでは, 画像全 体がぼけてしまったが, ε-フィルタにより, 画像をぼかすことなく肌を滑ら かにし, 主観的に美しい顔画像を得ることができた. 図3はさらにメディアン フィルタを用いることで, 引っ掻き傷のような大振幅孤立性雑音の除去を行い, さらにε-フィルタで肌の美観化を行なった例である. ε-フィルタと同じ処理 目的を持つ輪郭保存型フィルタは他にもあるが, これらは顔を平坦化させる傾 向がある. ε-フィルタは処理点の信号値を尊重するため, 原画像の顔の奥行 き感をほとんどそのまま維持することができる.

肖像権の都合により, 転載は御遠慮下さい.

(編集者注) 以下の図においては, 画像取り込みの解像度や圧縮処理の関係で
原画像の持つ情報が忠実には再現されていないことを御了承下さい.

Fig. 1 (a) Fig. 1 (b) Fig. 1 (c)
(a) 入力画像 (b)ε-フィルタ処理結果 (c)線形低域通過フィルタ処理結果
図1 ε-フィルタによる皺成分除去.

Fig. 2 (a) Fig. 2 (b)
(a) 入力画像 (b)処理結果
図2 ε-フィルタによる湿疹の除去.

Fig. 3 (a) Fig. 3 (b)
(a)入力画像 (b)処理結果
図3 ε-フィルタとメディアンフィルタの組み合せによる肌の美観化.

4. むすび

顔画像を対象とした新しい通信の概念とそれを実現するための画像処理法を紹 介した. ここで, 問題として考えられるのはまず, このような画像処理の評価 方法である. 従来の通信・信号処理においては, 真の信号があり, それと誤差 の二乗平均をより小さくするものが望ましい処理法であった. しかし, ここで 述べた顔画像美観化では, そのような評価法が通用しない. あくまでも処理結 果を見て, より美しいと多くの人に思われる処理結果を出す手法が高く評価さ れることになるであろう. また, 真の顔画像とは異なる偽りの顔画像を伝送す ることの倫理的問題を取り上げる人もいるかもしれない. しかし, それにはま ず真の顔画像とは何かを考えなければならない. 例えばテレビに映る年配の女 優さん達は厳重に化粧を施し, 強いライトに照らされることにより肌を奇麗に 見せているという. その場合, その女優さん達の真の顔画像とは何かは, はっ きり定義できない. また, 私たちの顔は, 若い頃の顔画像が真の顔画像であり, 年と共に, 肌に雑音が重畳し劣化するという見方もできるであろう. 少なくと も, ここで紹介したような皺や湿疹の除去程度の顔画像修正は, ホームページ やテレビ電話で使う分には問題がないのではないかと考える. むしろ, このよ うな顔画像修正を行なうことにより, マルチメディアの世界では, 我々は皆若 返ることができ, 楽しい人生を送れるのではないかと思う.

参考文献