第12回国際チューリヒEMCシンポジウム報告
(通信ソサイエティ ニューズレター第9号より転載)

(1)チューリヒEMCシンポジウムの経緯
 第12回国際チューリヒEMCシンポジウム・展示会は、1997年2月18日〜20日、スイスのチューリヒ市のスイス連邦工業大学(ETH)において開催された。

 このシンポジウムは毎奇数年に開催され、毎偶数年に開催されるポーランドのヴラツラフ市で開催される国際ヴラツラフEMCシンポジウムとならんで、ヨーロッパで最も古い歴史を持つ国際EMCシンポジウムとして極めて有名である。アメリカもIEEE EMCソサイエティが毎年場所を変えて国際EMCシンポジウムを開催しており、以上の3つのシンポジウムが既に20年以上開催を続けてきている。

 各シンポジウムはそれぞれ開催内容に特徴を持っており、アメリカは会議の構成メンバが殆どメーカ出身者で余りアカデミックな雰囲気が感じられず、主としてEMC本流とされる機器の相互干渉・防護の問題と、測定法を中心とした国際規格関係問題に限定してセッションを組んでおり、生体への影響、自然発生電磁波等については、雷放電等の高電圧放電現象(ESD)等を除き殆ど興味を示さない傾向が強い。

 一方ポーランドは以前より旧ソ連、旧東欧圏よりの参加者が多く、ソ連崩壊以前から東西の研究者の情報交換の場として大きな意味を持っていた。従って、参加者数は多くないが発表範囲は非常に広く、生体問題等の新分野の発表内容もかなり自由に採択し、運営も極めて大らかであり家族的雰囲気に包まれている。

 一方チューリヒの運営はスイス人の気質を反映して、時には冷たく感じられるほど極めて厳格に運営される。しかし、参加者への心配りの良さは最高で、発表論文の守備範囲は新しい分野を含めて非常に広く、また適切な査読を行っている結果、発表論文のレベルは世界で最も高く保たれている。今年度の採択状況は236遍の投稿があり、査読の結果126遍が採録された(採択率53%)。この126の数字は会場の座席数から出た数字であり、過去、全てこの数字で切っている。

(2)アドバイザリーコミティミーティングの内容
 最近5年間に世界的にEMC問題の関心が極めて高くなり、世界各国で急速にEMC国際シンポジウムが計画・開催されるようになった。チューリヒEMCシンポジウムのアドバイザリーコミティミーティングは、当初から世界で行われるEMCシンポジウムの開催時期の調整が主な議題の一つに含まれており、今回も20日の午前に開催され、この問題について議論が集中した。このメンバは21名で半数がスイスの関係組織、および8ヶ国のEMCシンポジウム関係者、ITU、URSIの代表者から構成されている。 

 今回特に議論が集中した議題は、次回の13回チューリヒEMCシンポジウムが開催される1999年についてで、現在名乗り出ている国際EMCシンポジウムは11件、計画中のものが6件あり、日本での第4回国際EMCシンポジウムも同年5月に計画されている。このようなシンポジウムの急増はそれぞれの参加者数の低下を招くことは必定であり、既にその兆候は顕著に表われ始め、将来、共倒れになる可能性も心配せねばならない状況になってきた。

 この中でも、イタリアのダモーレ教授が1994年に始めたローマEMCシンポジウムは、同氏がチューリヒより緩い基準で査読を行って参加者を増やし、ヨーロッパのEMCシンポジウムをチューリヒからローマに奪取しようとの意図を持っており、一部のメンバからは強い顰蹙を買っていた。しかしダモーレ教授はますます強気で、さらに98年のローマ開催後は、ユーロEMCシンポジウムとして開催地をローマ以外の都市を毎回移して隔年に行うと計画していると席上で述べていた。

 これに対抗して、ヨーロッパで最も古い開催の歴史を持っているチューリヒとしては特に対抗手段をとらず、また世界的なシンポジウムの開催数の増加の影響で参加者の現象も含めて、査読の結果参加数が現在の126名を切ったとしても、現在の論文の質を落とすことなく開催し続けることを決定した。

 しかし、スイス以外でもこの問題は重大で、1999年2月にチューリヒ開催の直後の5 月には、現在鋭意準備が進められている東京のEMCシンポジウムが開催される。しかし、この期間にはヨーロッパ等で2つのEMCシンポジウムの計画があり、ヨーロッパからの参加者数の減少は充分予測される。

 この件についてヨーロッパ、アメリカのメンバからは、日本が行うEMCシンポジウムは、ヨーロッパ、アメリカがどうしても助力できないアジア地区を分担して貰いたい、今後はヨーロッパ・アメリカと協力した立場で、アジアのEMCの中心になって貰うことが世界の為にも良いとの示唆を受けた。これに対し、今回から参加したインドのデブ博士はインドのことをお忘れなくと述べていたが。また、今回は不参加であった中国が1999年に国内で互いに連絡ないまま3つのEMCシンポジウムを、それぞれ別途に計画しているようであるとの情報がフランスから述べられた。

 最近新たに計画されている主なEMCシンポジウムを挙げると、97年では6月にオーストラリア、11月にブラジル、および南米でペリーニ教授が英語によるシンポジウムを計画している。98年には2月にドイツのデュッセルドルフとまったく同日にシンガポールが名乗り出ており、6月にフランスのプレストがヴラツラフの1週間前に、同じ6月にはユーロEMCがテルアビブ(イスラエル)との情報がある。その他、99年には不確実ながらバルセロナ、マケドニア等の情報が入っている。このような中で、今後スイスが参加者の増加を望まず、例え座席数を割っても質を最高に保って行く決意を固めたことは大きな見識であり、今後のわれわれの指針を示すものであろう。

(執筆者:芳野 赳夫、福井工業大学)