EMC’96Wroclaw参加報告
(通信ソサイエティ ニューズレター第8号より転載)

(1)本シンポジウムの歴史的背景
 1996年は偶数年で、EMCに関して東ヨーロッパで最も長い歴史を持つポーランドの国際ヴラツラフEMCシンポジウム(Eleventh InternationalWroclaw Symposium and Exibition on Electro-MagneticCompatibility)の開催年にあたり、第13回シンポジウ
ムは1996年6月25日〜28日、ポーランド南西部、シレジア地方の旧主都であるヴラツラフ市(旧ブレスラウ市)のヴラツラフ工業大学に於いて例年通り開催された。

 今回はソ連崩壊後5年を経過した時点で東欧圏内で開催される本格的EMCシンポジウムで、特にあらゆる面でポーランドの政情、経済状態等の改善が急速に進み、前回以後2年間でまるで別の国と思うほどの西欧化が進んだ実態を知る上でも興味深いシンポジウムであった。ペレストロイカ直後は一時参加者が減少したが、この時に西側の一部の参加者の中に、東側の研究動静を探ったり、知人を増やすことに意義が有るので、東側の体制の崩壊により存在意義が薄れたと言った短絡的な意見を出すものもいた。またマンネリ化の指摘もあったが、90年の運営委員会では、EMCの問題は複雑で今後も新しい問題が発生することは必定であり、東側の産業界は広く東西を問わず速報をどんどん取上げることが急務で、今後も引続いて開催することで意見の一致を見ていた。94年の12回大会では、西側からの参加者も復活し活発さを取り戻し、今年は前回に近い31ヶ国、298名の参加者を得て、3日半の日程で開催された。

(2)ポーランドの経済事情とEMC
 ソ連崩壊以後の東欧圏は政治体制の急激な変化のなかに晒され、経済情勢は計画経済から自由経済への移行期にあって不安定で、当のロシアをはじめ各国とも激しいインフレに襲われている。ポーランドとて同様であったが、食糧増産の好転による経済状態の急速な改善が見られ、街に活気が戻り、黒く陰鬱な町並みが明るく変わり、物資も豊富になって商店のショーウィンドウも西欧並に明るく美しく飾られ、街が目立って綺麗になっていた。また郊外の道路整備も急速に進んでおり、ワルシャワ市を中心に高速道路網がかなり建設されていた。 これらの繁栄は、今後数年間この国の電気製品の急速な普及をもたらす事は必定で、この国は今後新しいEMC問題に直面せざるを得なくなる運命にある事が考えられる。その時には今までに我々が長い日時を費やして経験を蓄積してきたEMC技術を如何に適格に適応して行くか、壮大な実験の場を提供してくれる事が期待できる。

(3)シンポジウムの概要と今日のEMC研究動向
 6月26日朝の開会式に引続いて11時からプレナリーセッション1が行われた。今回初めての試みとして、初日、2日目にそれぞれ1件、3日目に2件の計4件、午前のセッション開始前に、現在および近い将来にEMC関連技術や電磁波の環境に及ぼす恐れの高い重要な問題をプレナリーセッションで採り上げた。

 プレナリーセッション1はフランスのメイヤー教授が、”EMCの世界展開:科学学・協会の役割”と題し、東欧圏の自由化に伴って、これからのヨーロッパのEMCのマーケットは2000年に掛けてシェアの倍増が見込まれる。しかし、今日の欧州のEMCについての論議はマーケット問題に限られ、そこには科学が存在していない。今後のEMCに関係する学・協会の積極的な介入の必要性と役割について見解を述べた。

 セッション2は、ドイツのジーメンス社のヨーン氏による”プリント配線ボードのEMCとマイクロエレクトロニック技術工学”と題しプリント配線基盤設計上でEMC技術に立って如何に合理的設計を進めていけばよいか。論文集の38ページに及ぶレポートを用いて詳細な説明をされた。この論文は今後のこの分野に進む技術誌やにとって、座右の銘となるであろう。

 セッション3は、ITUのストロザーク教授の”スペクトルマネージメントにおける主要論争点”と題する講演、セッション4は、筆者(芳野赳夫)の”近い将来に於ける不注意な先端技術の使用が原因となる無思慮な周波数と電界強度の電磁界放射が人間環境と生体に及ぼす恐ろしさ”と題し、リニアモーターカー、ミリ波による自動車との交通情報システムの交信、ミリ波帯レーダーによる衝突防止システム等の試みが、事前にこれらの電磁波が道路上および道路側の住民の健康に与える影響等の恐れに関して全く考慮することなく計画が進められている。ミリ波は未だ研究の進んでいない未知の共振・吸収スペクトルが多数存在しており、場合によって生体に打撃を与える恐れが多分にある事を指摘し、事前の慎重な調査が必要であるとの警告を発した。

 一般セッションでは特に目立つ新しい内容の発表は見受けられなかったが、東欧圏においても当面の対策についての報告的な論文から、次第にEMC現象の統計処理化に移行して共通した現象の分析を行う方向に向かい、現象論からEMCの理論的統一をはかって、EMCの学問体形化しようとする方向に進み、今回の印象から東欧圏においてもこの傾向が定着しつつあるように感じられた。

 終了後の運営委員会では、4つのプレナリーセッションと、今回A〜Zまで増加したセッションの数と種類、割当てが適切であった事、セッションの分類が分かりやすく妥当であったとの意見が多かった。世界各地で多数のEMC国際シンポジウムが開催されるようになった中で将来問題として、ソ連崩壊後の今後のヴラツラフシンポジウムの持つ意義について再検討が行われた。

 その結果、ヴラツラフが全東欧圏から列車で比較的短時間に参加できる地理的な位置にあり、西欧からも距離が近く、現在西側との間で比較的多くの共同研究が行われており、そして何よりも2年おきに定期的に開催するEMCシンポジウムとして最も古い伝統を持っていることから、その国際的地位と価値は今後ますます高まりこそすれ何等揺るぐものではなく、今後とも従来通り継続して開催していくことを再確認して閉会した。

 最後に、今回のシンポジウムに関する諸データを記載して、報告を終わる。 a.査読済みオーラル発表論文数 :22ヶ国 95論文 b.ポスターセッション :24論文   c.採録論文総計 :22ヶ国 119論文 d.応募論文総数: 32ヶ国 161論文(採択率73%)  e.展示会参加社数:10社 f.登録者数 :283名 + 役員14名 g.参加者数: 総計  31ヶ国 297名

(執筆者:芳野 赳夫、福井工業大学)