開発物語
世界のデータセンターを担う垂直磁気記録ハードディスク装置の開発
1.はじめに
生成人工知能(AI)の登場によって日常的にAIの利便性を享受できる状況になった.この技術は,インターネット等でアクセス可能なデータを総合的に学習することで,人との対話を行うような感覚で人工生成の出力を提供する.学習の源は世界中のデータセンターなどに記録保管されたデータを主としている.これらデータセンターの記憶領域のほぼ全ては,日本で発明され,世界に先駆けて実用化に成功した「垂直磁気記録技術」を採用したハードディスク装置(HDD)から構成されている.
本稿では,データストレージ分野で革新的な技術として知られる垂直磁気記録技術の発明から,HDD実装による世界初の垂直磁気記録実用化までの研究開発の物語について紹介する.
2.磁気記録の歩み
磁気を用いた実用的なデータ記録は,1930年代のアナログ磁気録音に遡る.記録媒体である磁気テープは,酸化鉄から成る100 μm程度の細長い磁性粉末を樹脂の中に分散させ,長いテープの表面にペンキのように塗布したものである.磁気テープの磁性粉末を,コイルが巻かれた電磁石(磁気ヘッド)が発する磁界によって磁化し,電気信号を磁化の向きとして記録する仕組みである.記録データとしての磁化は,図1に示すように磁気テープの磁性面の内部(面内方向)に寝そべるような形になるため,「面内磁気記録」と呼ばれる.磁性体に磁界を加えた際に,磁界極性が「負→正」「正→負」と変化する履歴によって磁化の極性と値が異なる動きをし,その様子を表した曲線を「履歴曲線」と呼ぶ.磁界をゼロにしても磁化が残ることで,信号を磁化として記録できる.

図1 面内磁気記録の断面
信号を記録する際には,信号を固定周波数の高周波バイアス信号に重ねて記録する交流バイアス法が用いられた.これは記録信号を線形性良く記録磁化に変換できる方法で,アナログ磁気記録では重要な技術であった.
交流バイアス法によるアナログ磁気録音の研究の過程で,大振幅の高周波バイアス磁界の中で,大きな履歴曲線を描いて記録媒体の磁化が決められることが発見された.この結果を基に,録音材料に永久磁石を使うことが可能という結論が導かれ,高音質で録音が可能なメタルテープ媒体が1958年に岩崎俊一東北大学特別栄誉教授により発明された(2).図2に酸化鉄粉末磁気テープと,より大きな磁化を持つ永久磁石材料を用いたメタル粉末磁気テープの履歴曲線を示す.横軸は外部から与える磁界の大きさ,縦軸は磁化の大きさである.メタル粉末磁気テープの方が大きな履歴曲線の面積(磁気エネルギー積に相当)を持ち,大きな磁化として高い品質で信号を記録することができる.

図2 磁気テープの磁化履歴曲線
1956年にはIBMがメインフレームコンピュータの記憶装置として,世界初のハードディスク装置RAMAC(3)を開発した.面内磁気記録方式が用いられ,これがハードディスク装置の起源となったのである.その後,記録密度を高める研究開発が精力的に進められ,世界のディジタルデータストレージ産業をけん引してきた.
3.面内磁気記録の限界解析から生まれた新技術
面内磁気記録の記録密度を高める研究の中で,岩崎先生は記録媒体に磁気ヘッドからの磁界が加わった瞬間に起きる磁化の現象を計算する手法を見いだした(4).複雑な磁化と磁界のダイナミックな挙動を自己矛盾なく計算することから「セルフコンシステント磁化過程」と呼ばれ,磁気記録における動的磁化解析に大きな役割を果たした.図3にセルフコンシステント磁化過程の概念図を示す.
面内磁気記録において記録密度を極限まで高めようとした際に,記録媒体の面内に対向して配置された磁化同士が反発する力が大きく作用することにより,内部に磁化が丸く閉じてしまう現象が起きることが,1975年に岩崎先生らによって発見された(5).図3の中に赤の点線で示す丸い渦状の磁化であり,「回転磁化モード」と名付けられた.

図3 セルフコンシステント磁化過程の概念図
実はこの現象こそ,垂直磁気記録の発明の大きなきっかけとなったのである.面内方向に記録された磁化がエネルギーを小さくするため,自ら垂直方向に向いてしまうという磁性の本質的現象を見いだし,あえて垂直方向に記録磁化を配置することが磁性の理にかなっているとの考えに至った.面内磁気記録では,隣り合う記録磁化が互いに反発し合うため,高密度記録の状況では互いの磁化を弱め合う強い作用が働く.これに対し垂直磁気記録では,隣り合う垂直方向磁化が互いに強め合う作用が働き,しかも記録密度が高いほどより安定になる特徴を持つ.まさに,高い記録密度で信号を記録するためにふさわしい記録方式である.
こうして岩崎先生ら研究チームは垂直磁気記録方式を発案した.垂直磁気記録の発想は,面内磁気記録の極限の記録密度で発生する現象に対する深い物理考察の結果,高密度記録にふさわしい自然の理にかなう技術として生まれた.1977年に国内学会(6)とIEEE国際学会(7)で初めて発表され,次世代を担う記録方式として垂直磁気記録の研究と実用化開発が世界中に広まるきっかけとなった.
4.垂直磁気記録の三つの基本構成の発明
垂直磁気記録は,記録媒体の磁性層の中で信号を垂直方向の磁化として記録する方式である.そのため,記録媒体の膜面に垂直に磁化しやすい特性を持つ磁性層が必要である.当時,岩崎研究室の異なる研究テーマで試作されていたCoCr合金が,偶然にも垂直に磁化しやすい性質を持つことが見つかり,垂直磁気記録研究をけん引する標準的な媒体材料としての役割を担った(8)(9).これが一つ目の構成要素,CoCr垂直磁気記録媒体である.
二つ目の構成要素として,記録媒体に対して垂直方向に磁界を発生させるための垂直磁気ヘッド(10)も発案した.このヘッドは,記録媒体に対して垂直方向に配置した細長い磁性薄膜で構成され,記録媒体側の先端に強い垂直方向の磁界を発生させることができる.その構造から「単磁極型垂直磁気ヘッド」と呼ばれる.
更に特筆すべき発明は,三つ目の構成要素である.垂直記録ヘッドから発生する磁界を効率良く記録媒体の底部にまで引き込むため,記録媒体の磁性層の下に磁化しやすい磁性層(軟磁性層)を設けたことである(11).記録感度と再生感度がそれぞれ約10倍に改善することが実験的に検証された.記録層とその下の軟磁性層の2層構造であるため,「2層膜垂直磁気記録媒体」と呼ばれた.
このように僅か3年ほどの短い期間に,三つの重要な構成要素が相次いで発明されたことにより,垂直磁気記録は実用的で,優れた記録性能のポテンシャルを示すことに成功した.垂直磁気記録方式の基本構造を面内磁気記録方式と比較して図4に示す.

図4 垂直磁気記録と面内磁気記録の構造図
筆者はこの時期に学部学生として岩崎研究室に配属され,発明の熱気の中で岩崎俊一教授,中村慶久助教授(当時)の指導を受け,垂直磁気記録の研究に初めて触れることになった.学生であった筆者にも,理にかなった本質的に優れた記録方式であると理解することができた.
岩崎先生は私たち学生に,ヒマラヤスギを例えに「余計な知識(枝葉)を捨てたとき,真にあるべき考え(幹)が真っ直ぐに伸びてつながっているかが分かる」と諭された.不確実な情報に惑わされず,研究の考え方が太く真っすぐな幹としてできているか,という問い掛けで,真理を追求する研究姿勢を指導して下さった.
1980年代になると,コンピュータの外部記憶装置であるフロッピーディスクや,ハードディスク装置などへの実装研究が盛んに行われるようになった.従来の面内磁気記録の記録密度限界を超える方式として期待を集め,世界中の多くの製造企業や研究機関が同方式の研究開発に参画した.この当時,フロッピーディスクやハードディスクを開発・製造する会社は世界中に40社を超えるほどあったようである.それらのほとんどが垂直磁気記録を次世代記録方式の候補として考え,研究開発に着手したと思われる.筆者も垂直磁気記録の実用化開発を目指して,大学院修了後に企業に入り研究開発に参画した.
5.死の谷の底で見つけた設計指針
垂直磁気記録は原理的に高密度記録に適した記録方式であり,面内磁気記録の次の世代を担う技術として大きな注目を集めた.最初に開発されたCoCr合金を基にした記録媒体材料が垂直記録媒体研究の標準的な構成となり,垂直記録ヘッドを用いて高い記録密度性能の実験検証が盛んに行われた.
垂直磁気記録が原理的に高密度記録に優れた方式であることは確かだが,必ずしも実用化開発が容易であるとは限らない.CoCr合金の垂直記録媒体を使って信号の記録実験を行ったところ,磁化安定性の点で最悪条件となる低い記録密度で熱揺らぎのために,信号が著しく減衰していく現象が見つかっていた(12).熱揺らぎとは,環境温度の熱エネルギーのために磁性粒子の磁化が揺さぶられ,磁化の方向が反転する確率を上昇させてしまう現象である.CoCr合金は確かに垂直方向に磁化しやすい性質を持つが,磁石の強さは熱揺らぎに耐えるには十分ではなかった.対策としてより強い磁石材料であるCo/Pd積層薄膜材料も試作されたが,信号安定性と信号品質を十分に両立することはできなかった(13)〜(15).
この頃,世の中のストレージ装置を担っている面内磁気記録は,意外にも大幅な技術躍進を成し遂げていた.多くの企業が多大な研究開発投資を行い,面内磁気記録の性能を高めるべく努力を継続したからである.面内磁気記録の記録密度を高めるための記録媒体の薄膜化と,新しい巨大磁気抵抗効果(GMR)やトンネル磁気抵抗効果(TMR)を使った非常に高感度の再生ヘッドの採用,新しい信号処理方式の適用などにより,面内磁気記録の記録密度はこれまでの限界説の予測を超えて大きく伸長した.HDD装置の大手メーカーからは,面内磁気記録による記録密度の世界記録を競うような発表が相次いだ.
1990年代後半になっても,まだ研究段階の垂直磁気記録では,ストレージ事業をけん引する面内磁気記録に取って代わるほど高い性能と信頼性を実証することができなかった.実際に産業界での実用化開発は幾つもの困難に直面した.この頃,多くの研究者から垂直磁気記録のポテンシャル自体に疑念を持つ声も出始めた.垂直磁気記録の構造的な特徴から,低い記録密度での磁化と信号の減衰が大きい,磁気ヘッドと媒体の間隔に敏感過ぎて,接触させないと性能が出ない,外部からの磁界や磁気ヘッドの残留磁化によって記録データが消えてしまう—など,研究開発の過程で多くの困難さが提起された(13).垂直磁気記録の研究開発から撤退する企業も増え,発表論文数も低調になってきた.いわゆる「研究開発の死の谷」と呼ばれる状態であった.
筆者が在籍した企業のチームも例外ではなく,目を見張るような記録密度の向上が達成できない中で,研究リソースも制約された状況にあった.そこで,垂直磁気記録の問題の一つである信号減衰に取り組んだ.長所を伸ばす前に,短所を解決することに専念した.その原因を明確にするためにCoCr垂直磁気記録媒体の信号の波形を詳細に観察した結果,図5のMedium Aに示すような大きな波形ひずみを発見した(16).詳細に調べると,記録ヘッドによって形成された磁化の転移部分(S-NからN-Sに切り替わる部分)が,その磁気ヘッドの反対方向の磁界により壊されてしまう現象であることが判明した.対比実験で,より強い磁石材料で反対方向の磁界にも耐え得るCoPtCrO媒体を試作して信号を記録したところ,再生信号の波形ひずみは見られなくなった(図5 Medium B).安定した垂直磁気記録の実現のためには,信号を記録する過程で信号ひずみを抑圧できる磁気特性の条件を満たす必要があることが分かった(16)(17).これで垂直磁気記録の短所を解決することができると考えた.

図5 垂直磁気記録の信号波形のひずみ抑制効果
(Medium A:CoCr標準媒体・波形ひずみあり,Medium B:新しいCoPtCrO媒体)
強い磁石材料を使って新たに開発したCoPtCrO垂直記録媒体の履歴曲線を図6に示す.実はこの材料は,強い磁石材料であるCoPtCr合金を真空中でスパッタ成膜する際に,従来は絶対回避されてきた酸素を混入させてしまったことで,意図せずにできた合金薄膜だった.微細なCoPtCr磁性結晶の周りを,酸素を大量に含むアモルファス(非晶体)が囲む大変ユニークな構造をしている(18).
死の谷の底にあって,奇しくもこの特異な構造の垂直記録媒体材料の発見が,実用化に向けての設計指針を与えてくれることになった.実際に短所を克服したここからが,垂直磁気記録の長所を生かし記録密度を高める開発フェーズとなった.ただこの時点では,HDD業界や研究者の間でこの奇妙な材料が注目されることはなかった.

図6 CoPtCrO垂直記録媒体の磁化履歴曲線
6.HDD製品化に向けた技術インテグレーション
データを記録するHDD装置は,IBMが開発したデータ記録装置RAMACに始まる70年の長い進化の歴史を持つ.面内磁気記録の記録密度を高めるため,記録媒体の磁性粒子をより微細にする開発が続けられた結果,2000年に近づく頃から記録媒体の磁化が熱揺らぎに耐えきれずに反転し,信号が減衰する現象が見え始めた.記録密度が高い状態では,隣接する磁化が互いに反発して反転させようとする作用が強いために,熱揺らぎによる信号の減衰がより顕著となる.データストレージにとって,熱揺らぎによる磁化反転はそのままデータ損失につながる致命的なものであり,絶対に避けなければならない.強い磁石材料を使って対処しても,高密度記録性能と記録しやすさの両立が困難になり,記録密度が伸びない状況になりつつあった.まさに,面内磁気記録の物理的な限界が見えかけていた.
期待されていた垂直磁気記録方式も,HDD製品への技術実装ができなければ実用化に供することにはならない.面内磁気記録方式から垂直磁気記録方式の切換えは,HDDの歴史始まって以来の記録方式大転換となる.実現のためには,将来にわたってHDDの高密度化,大容量化をけん引できるポテンシャルを持つ実用的な記録方式であること,熱揺らぎの影響の問題を解決できる信頼性ある技術であることを実証する必要があった.
筆者らの開発チームは,記録密度を高める性能開発と同時に,データストレージとして「肝」となる信頼性を検証するためHDD実装開発に注力した.垂直磁気記録では,垂直記録ヘッドと2層膜垂直媒体の間に働く強い磁気的な相互作用が性能を決める大きな因子であり,信頼性を検証する重要なポイントである.記録密度性能や環境耐力,環境条件変化に対する敏感さなど,重要因子のHDDへの影響を早い段階から把握する必要があり,HDDインテグレーション実験の最も重要な目的である.
モバイルPC向けの主力製品だった2.5型HDDを基に,ディスク1枚当り30 GByteの記録容量のプロトタイプを試作した(19)(20).垂直磁気ヘッドとCoPtCrO材料を使った2層膜垂直磁気記録媒体を実装し,信号処理には面内磁気記録用を改造した回路を使い,HDD機能が正常に動作することを確認した.その後,記録容量を同50 GByte,60 GByte,80 GByteと順次高めながら,最終的には垂直磁気記録に最適な新開発の信号処理方式も実装した.その結果,当時の面内磁気記録HDD製品の最高記録密度を30 %ほど上回る高い性能を,HDD装置としてようやく実証することができた.
7.予想を超えた垂直磁気記録HDDの性能
HDDの実用上,使用される環境条件に対する耐力が重要である.まず環境温度に着目し,垂直記録と面内記録のHDD装置を使って高温と低温の環境における性能の違いを調べた.
面内記録で問題となっていた高温における熱揺らぎ現象の影響を調査した.図7は2.5型60 GByteのHDD試作機を用いて65 ℃の環境温度で測定した記録密度と信号減衰率の関係である.面内磁気記録では,記録密度が高いほど熱揺らぎによる磁化の減衰が大きく,信号の減衰率も大きくなる.一方,垂直磁気記録では全く逆の傾向を示し,記録密度を高めるほど熱揺らぎによる減衰が抑制され,信号の安定性が高くなる.高密度記録にふさわしい性能である.

図7 垂直磁気記録と面内磁気記録の熱揺らぎ信号減衰
次に,低温環境での記録性能について検討した結果を図8に示す.記録時の温度を変化させビット誤り率(BER)の劣化度を測定した.その結果,垂直磁気記録では,面内磁気記録方式に比べ低温におけるビット誤り率の劣化が小さく,低温側でも耐力が高いことが示された.磁性材料は温度が低いほど磁化反転し難しくなり記録性能が劣化する特性を持つが,垂直磁気記録の場合には記録媒体を磁化する記録能力に余裕があるため,低温環境でも記録性能が高いことが分かった.試験前には予想すらしていなかったすばらしい結果であり,改めて垂直磁気記録の性能に驚いた事象である.
インテグレーション試験結果から,垂直磁気記録方式は,広い環境温度に対して優れた特性を示すことが明らかになった.当時,ノート型PCやポータブルビデオカメラ,カーナビ,オーディオプレーヤなどのモバイル機器に小形HDDを搭載する動きが広まっており,広い温度範囲に対応できる性能は市場の需要に適合していた.

図8 動作環境温度とBER劣化の関係(赤:垂直磁気記録,黒:面内磁気記録)
また,磁気ヘッドと記録媒体の間隔に関する議論も重要なポイントであった.CoCr記録媒体を使っていた頃の初期の垂直磁気記録では,面内磁気記録に比べてヘッド・媒体間隔が性能に与える影響が非常に大きかった.ヘッドと媒体を接触させないと使えないと指摘され,実用化への大きな問題との認識が広まっていた(13).ところが新しいCoPtCrO垂直磁気記録媒体を開発して試験をした瞬間,この問題は全く逆の表情を見せた.信号減衰が少なく安定性の高いこの垂直記録媒体は,単磁極垂直ヘッドとの組合せで,驚くことに面内磁気記録よりもヘッド・媒体間隔の変動に強い,すばらしい性能を示した.当初の予測を覆し,ヘッドと媒体の設計許容度を広く確保できる実用化上の大きな利点となった.
岩崎先生は1980年に,面内磁気記録方式と垂直磁気記録方式は原理的に互いに補い合う関係(相補性)を持つことを指摘していた(22).面内磁気記録HDD製品と垂直磁気記録HDD試作品について,記録装置としての性能を対等に比較評価できるようになると,原理と同様に記録装置としての性能特徴も互いに相補的であることが明確になった(23).両記録方式の特徴の相補性を理解することは,垂直磁気記録の本質的な特性を実現する開発の過程で,技術的問題を打開する正しい仮説を設定できる点で大変有意義であった.直面する技術困難さが物理に反したことを開発しようとした結果か,単に工学技術レベルの未熟さによる結果か,技術挑戦の分析に正しい示唆を与えてくれた.両記録方式の特徴の全体像を技術体系として捉え,俯瞰的に技術の本質を見ることの意義を体感した.
筆者らの開発チームは,これら垂直磁気記録技術の開発成果を小形の1.8型HDDに実装し,1.8型40 GByte/80 GByteのHDD製品を開発することに成功した(20)(21).2005年に垂直磁気記録方式のHDDとして世界初の実用化製品を市場に投入した.この垂直磁気記録1.8型HDDの最初の大きな市場はポータブル音楽プレーヤであった.手のひらサイズの有名な音楽プレーヤに搭載され,一気に世界中に広まっていった.1.8型HDDに続いてノート型PC向け2.5型HDDにも垂直磁気記録方式が採用された.競合するほかのHDDメーカーも半年から1年ほど遅れて追随し,最初の製品から約4年以内には3.5型HDDを含む全世界ほぼ全てのHDDが垂直磁気記録に切り替わった.現在,世界のデータセンターを担っている大容量HDDにも全て垂直磁気記録方式が使われている.
8.おわりに
1977年に日本で発明された垂直磁気記録技術は,歴史上初のHDD記録方式大転換として2005年に日本が先陣を切って実用化に成功した.垂直磁気記録が,従来の記録方式では到達不可能であった領域に大容量化の流れを加速させた.垂直磁気記録HDD実用化を経て,現代のディジタル社会を支えるデータストレージが大きく進化してきたと言えよう.現在の製品の記録密度は垂直磁気記録HDD実用化時のおよそ10倍超を既に達成し,更に性能を伸ばす技術更新により今後の記録密度向上の方向が明確になっている.
クラウドコンピューティング,ビッグデータ解析,生成AIに続いて,新しく生まれる技術が機能するに値する意義あるディジタル社会基盤として,今後のデータストレージ技術の発展が期待される.
謝辞 本研究開発を遂行するにあたり,垂直磁気記録方式の根幹を成す考え方について,厳しくかつ適切な御指導を賜りました岩崎俊一東北大学特別栄誉教授,中村慶久東北大学名誉教授に深く感謝致します.また,本開発を共に成功に導いた株式会社東芝垂直磁気記録HDD開発チームと技術パートナー会社関係各位に,心より感謝致します.
文 献
田中陽一郎(正員)
東北大学総長特別補佐.2006東北大大学院工学研究科電子工学専攻博士後期課程了.博士(工学).1983東芝総合研究所.2005垂直磁気記録HDDの世界初製品化.2009東芝アメリカ情報システム社Vice President.2019東北大電気通信研究所教授.2024東北大名誉教授,総長特別補佐(現職).IEEEライフフェロー,日本磁気学会フェロー.