携帯になるまで

ハカセ 都市災害対策用のシステムが東京23区に導入されたのと同じ年、800MHz帯を用いる商用自動車電話システムの開発が始まり、5年後の1975年、800MHz帯システムをきちんと使えることが確認されました。サービスが開始されたのはさらに4年後の1979年です。初めは東京23区内のみでしたが、翌年には大阪地区へと順次大都市への導入が進み、1982年には中小都市方式サービスも始まりました。
チャメロ システムを作り始めてからサービスが開始されるまでには、ずいぶん時間をかけてテストを繰り返しているのね。信頼できるシステムを作るのはそれだけ大変だってことがわかるわ。
ケータ システムがどーたらこーたらって話はともかく、ようやく日本でも一般人が使えるようになったんだね。このころの携帯電話…自動車電話っていうんだっけ。自動車電話はどんな感じだったの?
ハカセ このサービスが始まった当初の装置は容積が6600ccもあり、基本料金が月3万円で最短距離の通話で約100円/分と、とても高価なものでした。
ケータ 1000ccで1リットルだから・・・・・・・・・大きな牛乳パック6.6本分の大きさがあって、しかも通話料がやたら高かったんだ。よっぽどの金持ちじゃないと使えなかったってことかぁ。自動車っていっても、高級車じゃないと似合わないね。
ハカセ その後、容積1500ccの自動車電話が発売され、1984年には全国広域サービス・自動車電話国際通話サービス開始、その翌年にはショルダーホンの発売が始まりました。そしてついに1987年の4月に携帯電話の発売が開始されたのです。といっても、アナログ方式で容積も500ccと、現在のものとは大きく違います。
チャメロ 500ccっていうと、ちょうど小型のペットボトルくらいの大きさだから、「携帯」できる大きさにはなったってことね。

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