The Institute of Electronics, Information and Communication Engineers


アグレッシブさとクールさ

副会長 川上彰二郎

 論文を読み終わった後,または読んで数日後いろいろ頭を働かせて,「わかっ た」という感覚をもてるときは勉強に費やした時間は報われる.その一方,読 んでいるときはわかった気でいて,何日かしてから書いてないポイントに疑問 を感じて評価を下方修正したくなる論文もある.どういうときそういう感じを もつだろうか.

 一般に学会雑誌の論文の長さは6ページとか8ページくらいである.大きな 一連の研究がその長さの論文で表現できるわけはなく,論文は普通その一ステッ プごとに書く.例えば新機能をもつ光部品の研究では,提唱・理論解析,原理 確認実験,適用波長域の拡大,特性の改善,再現性の向上,信頼性の確認など 多くのステップがあり,ステップごとに数編以上の論文が現れる.開発を継続 する条件を確保する努力の一環として論文発表する場合が多い.そのようなと き,開発途中の部品は多くの改善目標を抱えていて,突破する方策は当事者と いえども通常はやってみなければわからない.当事者が悲観的になってはどん な小さな困難も克服されないから,楽観的であることは研究者の大事な資質で ある.解決される前の段階で不用意に弱点を書いて,世の中に部品本来の,克 服困難な問題点と思い違いされたくないという心理は積極的な研究者・技術者 には共通している.

 一方,論文は事実を過不足なく記述すべきものだという古典的な立場がある. それによれば,「克服すべき問題点があれば書くべきだ,必要ならば克服する ための手段の選択肢とそれぞれの見込みを書けばよい」という.これは正しい 意見であろうが,実行する人は少数派である(時代を現代に限れば).私達の 1世代前の研究者には「得意なことはさらっと,さりげなく書くものだ」とい う美学をもっている人が少数存在したがその人種はほぼ絶滅したようだ.私自 身,研究生活をスタートしたときは古典的客観派の一人だったと思うが,今は 積極派の良さを十分認識している.

 さて,論文を読むときの話に戻る.論文の読者にとっては余りに積極的な著 者は困るのです.著者について予備知識がない論文を私が読むときの心理を分 析してみると,著者は「積極的」であると仮定して,長所はやや警戒気味に, 書いてない問題点を探って,いわば信号のプリエンファシスを除く努力をしな がら読み,読み進むにつれて根拠が得られれば原点を移動しているようだ.論 文によっては原点の位置決めに努力の大部分を注ぎ,終った後でも仕事の実態 について明りょうな像が残らないこともまれではない.もちろんそういうとき は楽しくない.論文の読者は,事実と著者の率直な意見を知りたいのであり, キャンペーンを読みたい人は広告を見る.

 それで,私のいいたいことは次のようになる.「日々の研究開発や成果キャ ンペーンのときは積極的な気持ちでやりましょう.本会の論文を書くときは, 積極さを一目盛下げ,客観性を一目盛上げるよう,お互いに心がけましょう」.


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