電子情報通信学会誌 Vol.87 No.6 pp.447-449 2004年6月

廣瀬 明 正員:東京大学大学院新領域創成科学研究科基盤情報学専攻
E-mail ahirose@ee.t.u-tokyo.ac.jp

Akira HIROSE, Member(Graduate School of Frontier Sciences, The University of Tokyo, Tokyo, 113-8656 Japan).


エレクトロニクスを豊かにする 複素ニューラルネットワーク 廣瀬 明

abstract   複素ニューラルネットワークの特徴について概説する.多くの応用のうち,特に電子・通信を中心とするエレクトロニクス分野での利用を取り上げ,その特長の起源を述べる.そして,将来の発展性も含め,展開が期待される応用分野を概観する.
キーワード:自己組織化,学習,適応,情報表現



■1. 右脳に学び,右脳を超える

 人間の脳は,右脳的なパターン処理と左脳的な記号処理の両方を,柔軟にやってのける.例えば複雑な道順や旅行経路を考えるとき,人間はまずパターン処理で大まかな答えを出し,次に記号処理によって細部や整合性を確認する.脳のその原理や詳細な機構は,サイエンスとしていまだ明らかでない.しかし生理実験の結果,多くの推測がなされている(1).そして,エンジニアリングとしても従来にない面白い世界を構築してゆくことができる.

 脳には特徴的な点が多くある.脳は外界のいろいろな事象を取り込むときに,情報を人間に対する意味によって再構成し,それらの相互関係を保ちながら吸収する能力を持つ.その取り込み方は,センサの役割を果たす網膜や蝸牛といった器官の細胞や,多数の中枢脳細胞の相互結合の構造によって,大まかに決定されている.更に「自己組織化」によって外界の変化に柔軟に対応できるようになっている.

 自己組織化の目的は,情報の表現方法を,人間がその情報を利用して生きてゆくために最も適した形にすることにある.効果的な「学習」や「適応」が行われるためには,目的に合致した情報表現を用いることが極めて重要であることが明らかになっている.そのため,脳はどちらかというとはん用的であるよりは,むしろ視覚系や聴覚系といった場合ごとの目的に応じた最適な構造を持っている.

 現代の電子情報通信技術によって,我々が得る情報はより多彩になっている.そして脳の仕組みをまねて,より多くの種類の情報を上手に活用した新しい柔軟な工学システムが探求されている.いわば右脳に学び,右脳を超える機能を持つシステムの構築である.その場合にも,自己組織化や学習を効果的に実現するためには,適切な情報表現が不可欠である.


■2. 情報表現の方法を豊かにする複素ニューラルネットワーク

 一つの例を考えてみよう.コヒーレンスすなわち波動の干渉性を利用した計測は,多くの実用的な分野で近年大きな進展を見せている.そこで仮に,我々の眼に電波を発射するレーダのような機能があって,反射してくる電波の波の位相を見ることができたとしよう.どのような新しい右脳システムが構築されるだろうか(2)

 レーダで対象物体から反射してくる電磁波を見よう.対象物体が近づくと,眼と対象物体の間に入っている波の数は減る方向に変化するから,反射波の位相は進む.逆に遠ざかると位相は遅れる.したがって,位相情報は対象までの距離を表しているといえる.またその揺らぎは,対象の表面のでこぼこ具合を表す.すると,きっと我々の脳はその位相情報も有効に使って外界を見るように,特別なやり方で自己組織化するだろう.

 すなわち,脳は反射波の振幅と位相の両方(複素振幅)を用いて,対象空間を柔軟にとらえる.例えば,飛行機から下界をのぞいて,富士山や山中湖が見えたとする.しかし振幅とともに位相が見える電波の眼を持って眺めたとすると,右脳は富士山の高低差やすそ野のでこぼこ具合,植生に起因する統計的な距離揺らぎやテクスチャもパターン情報として取り込む.そして複素振幅で表現された情報空間で,地表の様子を右脳的に瞬時に判断し区分するだろう.

 複素ニューラルネットワークの特長の一つは,波動や場の考え方と相性が良いことである(3).上に述べた位相感受型の視覚を実現するような,柔軟な干渉型レーダイメージングを行う応用に適している.電磁波の伝搬や干渉は,波動の透過・反射の大きさや位相の進み・遅れ,場の重ね合わせなどによって表現できる.これらの現象は波動を複素表現することによって自然に表すことが可能になる.そしてニューラルネットワークにおける信号に対する結合荷重の重み付け,すなわち振幅の掛け算と位相の足し算や,多数の入力の総和の手続は,波動現象とうまく対応を取ることができるようになる.


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