さて,急速加熱を達成するためにはどうしたらいいか.例えば,試料を載せたフィラメントに突然大電流を流して加熱する方法などは当時考えられていました.しかし,たんぱく質のような巨大分子を無傷で気化させるために十分な即効の加熱は得られませんでした.パルスレーザ自身の時間幅は先ほど紹介したようにnsec程度です.これを,集光,集めたときのエネルギー高密度高速性を利用すれば急速加熱が達成できそうですが,それを熱エネルギーに変換する媒体,メディアが必要です.

 1980年代当時,日本では合金を効率的に生産できることから,金属超微粉末(Ultra Fine Metal Powder),UFMPが注目されておりまして,別名ジャパニーズパウダーと呼ばれていました.このUFMPは,粒径が数十nmの極めて微細な粉末です.これを金属の塊と比較しますと,UFMPは粒径が波長と大体同一程度になります(図5).光が散乱して内部に取り込まれる可能性が高い.すなわち,光がより効率良く吸収されるはずです.見た目も黒い色をしています.また,粒子間に空げき,空間があるために熱エネルギーが散逸する可能性が低くなります.これを有機化合物の試料と混合すればレーザ光がUFMPに高効率で吸収され,熱が散逸することなくUFMPの温度は急速に高温に到達できて,混合物の中の試料を効率良く加熱することができるはずです(図6).このUFMPを熱エネルギーに変換する媒体として用いることを考案したのは吉田佳一であります.合金を作る材料,日本のお家芸でありますジャパニーズパウダーを常識とは全く異なる別の分野に活用した一つの例であります.

図5 塊状態金属Bulk Metalと金属超微粉末Ultra Fine Metal Powder(UFMP)の違い

図5 塊状態金属Bulk Metalと金属超微粉末Ultra Fine Metal Powder(UFMP)の違い


図6 UFMPマトリックスを用いた分子イオンの生成(1985)

図6 UFMPマトリックスを用いた分子イオンの生成(1985)

 もう一つマトリックス(用語)を御紹介します.1980年代当時,熱的に不安定な化合物をイオン化する方法と致しまして高速粒子衝突,FAB(Fast Atom Bombardment)MSという方法が広く用いられておりました.FABというのは試料に高速に中性粒子を衝突させイオンを発生させる方法です.この方法では,固体試料を液体に保持するためにグリセリンをマトリックスとして用いていました(図7).グリセリンは室温で液体です.固体試料を溶かし込むことができます.イオン化が容易になると考えられます.私たちはグリセリンをFABと同じようにマトリックスとして使用しましたが,残念ながらグリセリンがレーザ光,その当時使っていました窒素レーザ337nmをほとんど吸収しなかったため,有機化合物の分子イオン化の促進には有意な効果は見受けられなかったわけです.でも,混合を均一にする効果が上がるため再現性の向上には役立ちました.

図7 FABMSにおいてGlycerinマトリックスを用いたときの分子イオン生成

図7 FABMSにおいてGlycerinマトリックスを用いたときの分子イオン生成


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