■5. 電子メールの発展

 ネットワークコミュニケーションにおいて重要な役割を担っていたUUCPは,かつてアドレスの指定を「コンピュータ名!ユーザ名」という形で表現していた.例えばメールを出すときは「コンピュータ名!jun」と記述され,アドレスとして使用されていた.UUCPのネットワークが複雑になってくると,その経路一つひとつを「!」で表現していき,a!b!c!junと表記する.すなわち,aというコンピュータを通り,更にb,cというコンピュータを経てjunというユーザにメールが届く.その当時,あて先の目印となるような有名なコンピュータがUUCPの中に存在しており,アドレスは,有名なコンピュータからの道のりを表記するようになった.日本であればtitccaというコンピュータが有名だったため,titcca!x!y!junと表記し,それを頭につけるとメールが届くという表現を使っていた.もちろんこの方法には限界があり,世界中のコンピュータがつながってきたUUCPのネットワークの中では次第にスケールしなくなってきた.この表現がスケールしなくなったときに考えられたコンセプトが,階層的なドメイン名である.この階層的な方法を,どのようにインプリメントすべきか議論している中で,とりあえずUUCPの上で試作をしてみたのが,JUNETの上でのドメイン名の導入だった.アットマーク(@)を使った,xx.junetという表現である.ユーザ名@コンピュータ名.junetという表現をしたときに,これをどういう方法を使って転送することができるのかの実証実験は日本とオーストラリアが先行して行った.日本ではJUNETにおいてこの方法を模索し,実際にそれを使って実現していった(6).ほかにはSUNET(シドニーユニバーシティネットワーク)でも似たような試みをやっていたが,これだけ大規模にソフトウェア開発も伴ってネットワークを動かしていたのは世界でもSUNET,JUNETの二つだけだった.そういう意味で階層的なドメイン名の実現は,世界の中でも日本は一番早かった.JUNETは誕生のときから階層的なドメイン名,つまり!を使う従来のUUCPのドメインの名前ではなく階層的ドメイン名を使用しており,これが,後のインターネットにとっては,大変大きな意味を持つことになる.

 現在,ドメイン名は名前の知的所有権の問題にまで発展し,WIPOを含めて大きな社会的な動きになっているのは既知の事実である.JUNETでは当初から,例えば東京大学のドメイン名を決めるにあたり,tokyo.ac.jpを使用してしまうと,後に「東京」を使用する組織がたくさん出てきたときに混乱しないよう,University of Tokyoは,u-tokyoにしておいてぶつかり合いを避ける工夫をした.また,nhkという名前は,やがてNHKがネットワークにつながってきたときに使用が予測されるため,他の人が使用すると混乱するだろうといったように,名前空間についての議論をしていた.

 当時の議論は法務的な知識や意識の下で行っていたわけではないが,これは早い時期からコンピュータサイエンティストが,知的所有権の問題に触れながら研究開発をしていたということの現れである.この意味でも日本は早い段階で先進的な問題に取り組んでいたといえる.JUNETの時代から,実際に開発者がオペレーションに携わりながら開発を行ってきたことで,このような議論へのかかわり方が早くから起っていたのである.産学官の融合という表現がよく使われるが,実際には産学官が一緒に研究開発するということだけではなく,それぞれのセグメントが得意としている分野を持ち寄って,更なる新しい問題を解決することが重要である.そういった意味では産学官の共同研究の体制は,情報通信の分野において世界の中でも今でも日本は先進国だといえる.情報通信関係の分野では,産学官の共同研究が大変良い関係にあり,社会基盤の中での実証運用や実証実験,研究に対するフィードバック,あるいは研究の成果が政策にどういう影響を与えるか,という関係から見たときに体制としてうまく機能している部分は評価すべきである.日本のこの状況は世界の中でも進んでいる部分があり,人類にとっての科学技術開発という大変重要な意味を持っている分野である.

 コンピュータ通信のアーキテクチャを開発する中で,世界標準仕様を策定する国際的な機関であるISO(International Organization for Standardization)が,コンピュータやネットワーク機器を相互接続するためのOSI(Open System Interconnection)標準の作成を1977年に提案した.それに基づいてOSIのプロトコル体系は国際標準としてISOと,CCITT(当時,今のITUT)によって進められていくというプロセスをとる.

 一方このときにはもちろんインターネットはTCP/IPのプロトコル体系も運用しており,組織的な国際標準と,草の根型の国際標準とが大きく取り上げられ,議論となる時期でもある.そういう中で,電子メールとコミュニティという形成が非常に早く進んでいたのがパソコン通信である.パソコン通信は一つの中央のサーバに,ダイヤルアップでパソコンを接続し,電子メールを閉じられたコミュニティの中でやりとりする.日本でいえばニフティサーブ,PC-VAN,アスキーネット,日経のネットなどが代表的である.

 パソコン通信は,第二種の通信事業者としてライセンスを郵政省から取得し,サービスを提供する事業だったため,国際標準としてのOSIのプロトコル体系に従わざるを得なかった.つまりX.75,あるいは電子メールのX.400のプロトコルを前提とした電子メールの相互接続を行うことが当然だと考え,その方向で進んでいく.一方ではJUNETを中心とした日本での,あるいは世界中での電子メールが急激に発展し,パソコン通信の中で発展している電子メールとが,ばらばらに進むという結果になった.両者の相互接続ができないのは,電子メールは使っているが特定のコミュニティの中でしかやりとりできないという状況が起ってしまう.

 この状況を解決しようとしても,電気通信事業者が国際標準に従わない動きをするということはなかなかできない.そこでニフティ,アスキーネット,PC-VANなどの各社と相談し,インターネットとパソコン通信間でメールのやりとりをする実験をしてみることになった.1992年に,藤沢にそれぞれのパソコン通信の事業者から専用線を引き,WIDEプロジェクト(7)-(9)で相互接続の実験を開始した.

 インターネットとパソコン通信の相互接続,相互乗り入れにより,それまで閉じていたコミュニティがグローバルにつながるというインパクトは大変大きく,この実験の結果,利用者は格段に増加する.通信事業者としては,それぞれビジネスをしているわけだから,国際標準がなんであろうとユーザがこれだけ使っているならこれを止めることはできないということになり,結局インターネットとの相互接続を介してパソコン通信の乗り入れその他が自由にできるようになってきた.

 これによって日本の電子メールのコミュニティは大変な広がりをみせた.つまり,既に大規模に発展していたパソコン通信と,学術系を中心に発展していたJUNETと,インターネットでの世界の電子メールとが一気に全部つながってしまった.電子メールコミュニティは90年代前半に日本中で確立したといえる.大学や企業の研究者以外の人がインターネットというものを大きく意識し始めたのもこの時期である.これを背景に商用インターネットの発展へとつながっていく.


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