■4. 電子ニュースとネットワークコミュニティ

 JUNETによって実現された数々の功績は,技術的にも大きいものがあるが,社会的に大きな功績の一つは電子ニュースの配送であり,ネットワーク上のコミュニティができるようになったことだ.これがfjと呼ばれる日本の中でのニュースグループである.ARPANETからUSENETに入ってくるニュースはFrom ARPA でfaというタグをつけていた.JUNETからはfj(From JUNET)という名前がつけられた.fjというニュースグループは,日本の中でどういう掲示板を造ればいいかといった様々な議論がなされていた.fjはfaとも相互運用されていて,USENETなどのほかにもたくさんのネットワークともつながっていたこともあり,この中で大変大きな発展があった.

 一番大きかったのは,電子メールや電子ニュースに対して日本語を扱えるようになったことである.日本語をメッセージの中でどのように扱うかということが,利用者の増加につながり発展につながったといえる.世界からfaなどの情報が流れてくるのと同様に,fjも世界に対して流れていく.したがって,日本語のコンテンツが世界に流れるということに対するオペレーションとしての意識合せを世界にしていかなくてはいけない.これがネットワークコンピューティングとしてのグローバルなネットワークを構築するためのアーキテクチャに対して大きく貢献した.アメリカ中心といわれていた英語のネイティブな利用者中心にならずに,真に国際的なグローバライゼーションとしてとらえられなくてはいけないという意識を浸透させることとなった.電子メールや電子掲示板で日本語をどのように扱うかという活発な議論と,それに対する取組みが,結果的にこうした意識を世界に対して発信してきた功績は大きい.AT&TやSUNマイクロシステムズ,そして,MITのXコンソーシアムを通じた多国語対応のソフトウェアの概念形成にも大きな影響を与えた.

 日本語が取り扱えるようになった背景は,一つは日本語が文字列としてどうやって表現され,かつ世界中に,つまり,日本語とかかわりのない国々でもその文字列が邪魔にならないようにすることである.もう一つのポイントは,もしその文字列を表示したい場合は,何らかの形で表現できるようにすることである.この二つのことが実現できなくてはならなかった.

 一番目の問題をどのように解決したかというと,ISO 2022拡張体系という規格として知られているが,いわゆるJUNETコードである.従来の7bitのISOの規格に従ったコーディングの方法を使うことによって,当時8bitの文字コードが出てくると,大変障害が多かったUNIXなどの環境を壊さずに,この7bitのコードで日本語が流通できるようにしたのである.

 二番目の,表現をできるようにするということについては,コンピュータの表示システムの変遷が背景にある.ちょうどこの80年代にはビットマップディスプレイをベースにしたワークステーションが登場してきた時期である.キャラクタベースの端末から,ビットマップベースの端末への大きな変遷が,グラフィックを表現できるアプリケーションの発展にともなって,コンピュータなどのデバイスはハードウェアの面で大きく進化を遂げる.このビットマップの利用はグラフィックだけでなく,文字のフォント(グリフ),表現する文字の形を点で表すことで,自由自在にその形状を変えられるようになった.したがって,もはや端末のROMに文字のフォント情報を保持するのではなく,自由自在に置き換えることによって様々な文字種を表示することができる.ディスプレイの変化と同時に,プリンタなどもドットベースのオペレーションが可能になった時期でもある.つまり,基本的にプリンタは文字を送り込んで印刷する仕組みだったわけだが,それに対して点の位置を指定して絵が描けるようになった.グラフィックに依存したプリンタも登場し,点を操作することによってどんな文字でも出力できるようになった.この二つのことで,文字種に対する依存性のないコミュニケーションエンコーディング,メッセージの表現が可能になったのである.これは,オペレーティングシステム全体に対する重要な課題であったが,後にインターネットの国際性,ディジタルコミュニケーション基盤の国際性を実現するためには,非常に大きな意味をもたらした日本のソフトウェアエンジニアたちの手で作られた努力だったといえる.



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