【 若い研究者・技術者に寄せて ──成果蓄積方法論のすすめ── 】




3. 海外における経験

 さて,「成果蓄積のすすめ」に関連して,私が海外において経験したことについても共通点があるので付言をしておきたい.

(a) カリフォルニア大学留学

 研究所でディジタル通信の研究を始めるに及んで,確率過程論の基礎的学習の必要性を痛感し,1960年から約2年間カリフォルニア大学に留学することになった.初めてのアメリカでの学生生活は慣れるまで苦労したが,私はここでも「技術蓄積方法論」を実践することになった.まず英語の授業についていけるか心配であったので,克明にノートを取ることを心がけた.留学で学習した結果を帰国後の研究業務に役立てたいと思っていたので,乱雑に書かれた受講ノートとは別に,授業の内容に加えて参考書からの引用や注釈等を加えた自分なりの「講義録整理ノート」を作成することを心がけた.果たせるかな,結果として頭の中は見事に整理されその分野の総合理解が深まり,頻繁な試験や宿題にも悩まされることもなく,帰国後は自製テキストとして有効に研究面に活用できた.

 また,アメリカの授業では学生の貢献が歓迎される.特にセミナー授業では講義に関連して自発的テーマのレポート提出を推奨されることが多かった.私も「研究メモ」を3件ほど提出したが,これが評価されたお陰でProfs. Zadeh, Turin, Desoer, Juryらの先生方と親好を深められたし,その結果や修士論文はERL Reportにまとめられ後刻学会で発表された.Prof. Juryへ提出した「研究メモ」は,その後彼の著作の付録の1章に入ってしまった.


(b) ベル研究所での経験

 ちょっとした機縁でベル研究所に招へいされ,1968年から2年間会社を休職してベル研究所ホルムデルで研究に従事した.私としてはそろそろ管理職に片足をつっこみ一方で研究活動も名残惜しく,当時「研究のメッカ」といわれたベル研究所で最後の武者修行をしてみたかったことも事実であった.しかし行ってみた当初は,やることなすことうまくいかず当初の半年は悩み抜いた.その理由は,さすがはベル研,簡単に思いつくような研究テーマはほとんどだれかにより既に検討されベル研究所内報告書に記載済みであったからであった.

 ベル研究所内の報告形式の典型はMM番号付きの「Memorandum for File」で,これはかなり厳正な第三者による社内査読を経て登録され所内関係者に配布される.専門家が多いだけに社内査読は学会の査読より厳しいくらいである.ベル研究所の名声維持努力は社内文書の面にまで徹底されている感じであった.しかも累積されたたくさんのメモの中で社外発表されるのは氷山の一角にすぎない.いきなりMM番号付き報告書に挑戦しても許されなかった理由が分かった.しかし,そのうちに技術積み上げのためのツールである技術報告書形式も存在していることが分かった.それは,MM番号登録なしの「Memorandum for File」,「Engineer's Note」等であり,これはまさに私が活用してきた「研究メモ」と類似しているのに驚いた.比較的気楽に技術蓄積の手段に使えるメモであって,結果的には「蓄積方法論」をここでも実行することになった.

半年後に調子が分かってきてから研究にも弾みがついて,ベル研究所2年弱滞在中に,「Engineer's Note」2件,MM番号なしの「Memorandum for File」3件,MM番号付「Memorandum for File」5件,合計10件の社内報告書を執筆し,その結果の一部はBSTJ(Bell System Technical Journal),IEEE等3件の外部発表に結びついた.




4. 経営者になってからの経験


 さて,以上で私の「技術蓄積方法論」の話はほぼ完了するのだが,「蓄積方法論」は対象が技術であろうが経営管理であろうが有効に機能するはずであり,その後の経験について若干コメントしておきたい.

まず事業部異動後の1985年から1999年まで25年間の統計推移を図3のグラフに示す.グラフのT は技術関係論文18件,P は社内文書・社内講演訓辞・関連会社等での準社内講演等143件,Q は社外発表論文・寄稿・講演・随筆等189件であり,これを総計すると350件になる.このほかに多数のいわゆる「立場による執筆」(予算方針示達,管理指示,特件対処等)があったが,私の自著の統計記録からは除外してある.多分永年の間に無意識的に「個性の味」のある著作は保存し,無機質性の「立場による執筆」は廃棄してきた結果であると思われる.


図3 経営関係論文・講演件数の年次推移


 時系列的に見ると事業部異動後は技術関係文書Tが漸減し,社内講演・訓辞Pが主体を占めている.1987年がたまたま落ち込んでいるが,統計から「立場による執筆」をすべて除いているためで特に業務が減ったわけではない.社長在任中は役目上社内外の発信・講演回数が激増している.総件数のうち6割が論文・文書等で,残り4割がOHP・PPTを用いた口頭による講演であった.口頭講演の図表は重複利用があるので件数は多少割り引いて考える必要があろう.この間資料作成の優秀なスタッフに恵まれたのは幸いであったが,「個性の味」を出すため最終原稿は極力自分で執筆するよう努力した.いずれにしても,経営面においても結局は多岐にわたる論文・講演記録の蓄積・整理が,その後自己の経営方針の洗練・確立に有効に機能したと思っている.

ところで,これだけの物量の物書きや講演が可能になった背景には昨今の情報化の大きな進展がある.執筆,変更,追加,添削が極めて自由なワープロ機能は,試行錯誤を前提とする創作活動に真に適切な手段であった.PC上のファイルにメモを書きつけ,これに肉付けして原稿にまとめ,ネットワークを通して関係者に査読・コメント交信やり取りするうちに原稿が出来上がってしまう.その上原稿もすべて電子的にファイル・整理されるようになった.図3の統計記録に経営に関する「メモ」の項が見当たらないのは,多くのメモ原稿はPC上で更に加筆展開され,結果的には論文・講演原稿に変容していったからである.何と便利な時代になったことか.このような手段が昔の研究時代からあったならばと隔世の感を覚えるし,若い人達には更に高度な情報化手段活用の方法論を考えて頂くことを期待したい.


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