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【インタビュー】電総研 松本元氏に脳研究をたずねる!

聞き手:戸田賢二(電総研)

(問)現在脳研究が注目されていますが、どの様なアプローチがなされていますか?

(答)今までの脳研究は、脳が獲得した情報処理のアルゴリズム(コンピュータで言えばプログラム)の分析を主として行ってきました。しかし、我々は発想を変え、脳が情報処理のアルゴリズムを獲得する過程に注目し、情報処理のアルゴリズム獲得のためのアルゴリズムを解明するという方向からのアプローチを行っています。遺伝も脳と同様、情報についての自動アルゴリズム獲得システムであり、コンピュータを用いた遺伝的アルゴリズムや人工生命の研究がありますが、偶発的遺伝情報の変化を適者生存の法則で取捨選択するという遺伝の基本的戦略をそのまま脳研究に適用しようとしても、うまく行きません。それは遺伝の進化スピードは遺伝子長が長くなる程極端に遅くなるからです。即ち複雑なプログラムの自動作成は困難です。これに対し脳は、まず遺伝情報からプログラム自動獲得のためのアルゴリズムを獲得し、生後成長の課程でこのアルゴリズムに従いプログラムを自動獲得するという2重構造をもっているのです。地球での生命誕生から現在まで3 5億年かかっていますが、脳の成熟には数十年しか必要としないのはこのためです。

(問)脳のプログラム自動獲得のためのアルゴリズムの研究はどの程度進んでいるのでしょうか?

(答)かなり解明が進んできました。脳は学習によって情報を処理するプログラムを獲得し神経回路に構築するのですが、新しい入力情報は、すでに獲得した神経回路を活性化するための検索情報として使われ、出力が行われると学習効果が生じプログラムの書き換えが起こります。この様に学習は、入力と出力を関係づけたもので出力依存であり、出力がなければ学習しません。脳が出力を出すかどうかの判断は、入力情報の粗い意味とそれに基づく価値評価によって、即座に行われます。すなわち、入力情報は視床でその粗い意味・概念が調べられ、それが扁桃体に送られ、脳にとって良いかどうかの評価がなされ、良いという評価を得られると脳活性が高まりこの結果この情報の認知情報処理中の大脳新皮質での学習効果が上がるので出力することになるのです。さらに、視床から扁桃体を介して粗い意味を抽出し価値評価された情報は大脳新皮質の認知情報の答を記憶している連合野に送られ、大脳新皮質が答を検索すべき大まかな領野を指定し、情報を認知処理すべき方向をあらかじめセットしこれに向かって答を精選してゆくのです。このように、脳は自らが価値を認めた情報の認知処理のアルゴリズムを自動獲得し、そのアルゴリズム(答)も入力情報の粗い意味と価値評価をもとに仮説を即座に設定し検索出力するのです。そして、脳は、ライトワンスのメモリベースのアーキテクチャであり、一度書かれたメモリの内容は失われません。

(問)現在の研究及び今後の展開は?

(答)我々はこのプログラム自動獲得のアルゴリズムをシリコンチップ化する脳型コンピュータの開発に着手しています。神経細胞の速度はミリ秒のオーダですが、これをシリコンにするとナノ秒のオーダとなります。それぞれ1000個の入力端をもつ1OOO個の神経細胞、全体で1OO万結合となりますが、それをシミュレーションできるチップを開発しました。これは200MIPSに相当します。100個のチップで、1億結合、20 GIPSの性能となります。このチップは、第一世代のアーキテクチャであり、アルゴリズムを獲得すべき方向(目的)とその評価を人がプログラムで教える必要がありますが、自動プログラム形成、高速学習、ソフトの分岐命令はなく並列実行可能、という特徴をもっていて、現在のコンピュータと組み合わせて用いるのに適しています。今後数年はこのアーキテクチャを研究するつもりです。また、同時に、より正確な脳の活動の解明のために、実時間光イメージング法を開発し脳の各部位の活性の推移を高い時間空間の分解能で分析できるようになりました。これにより神経細胞で発生したパルスが樹状突起の各部にも逆に伝搬していることなど今までの常識を変える事実が明らかになってきています。また、海馬の長期記憶への情報変換の場としての仕組みも解明されることでしょう。

(問)脳研究の成果から我々にアドバイスして頂けることがありましたら、お願いします。

(答)脳の活性化が重要であり、生き甲斐感をもって一日一日が全力投球できるようであれば素晴らしいと思います。脳の基本的要請は成長(学習によってアルゴリズムが向上) することであり、その出発点は欲求の充足の向きに行動規範がある、ということです。すなわち、現在の位置が問題なのではなく、向かっているベクトルの方向が問題で、方向が上を向いていることが重要なのです。自分が置かれている現在がどんなであれ、そこの場で成長していることを感じることが幸福感になるのです。

(紙面の都合からかなり内容を簡略化しました。詳しくは、岩波科学ライブラリ42 松本元著「愛は脳を活性化する–脳研究からみた心とコンピュータ」をご覧下さい。文責:戸田賢二)