巻頭言

ことばと機械

甲斐 睦朗(国立国語研究所長)

国立国語研究所刊行の昭和30年版『国語年鑑』から10年刻みで5冊抜き出して「ことばと機械」についての調査研究をながめてみると、昭和30年版には「実務技術と機械」という分類項目が立てられていて、カナタイプライターに関する論文10編余りが紹介されている。昭和40年版を見ると「第1部 展望」の「書きことば」の中に「言語処理の機械化」という小見出しがあって「国立国語研究所では大規模な語彙調査を行うために電子計算機の利用を考えてきたが、いよいよその導入が本決まりとなった。」という当時としては画期的な動きが紹介されている。そして、雑誌論文一覧には「電子計算機と古典の総索引作り」「統計機IBMノハタラキニツイテ」をはじめとする先駆的な論文が掲載されている。いよいよ電子計算機による索引作りの幕が切って落とされようとしている。昭和50年版を見ると、「第1部 展望」には「情報化社会と言語」という論題を掲げて、長尾真氏が主に文字と語彙の問題を論じている。そして、「第2部 文献」の「刊行図書一覧」「雑誌論文一覧」に「ことばと機械」という分類項目が立てられている。言語が機械によって研究される時代が確実に到来したのである。昭和60年版を見ると、「第1部 展望」の「書きことば」の項目には「ワープロの普及」「機械翻訳機の出現」「INS実験開始・キャプテンシステム稼働」といった小見出しが見られる。また、「雑誌論文一覧」の「ことばと機械」では文字や語彙の問題だけでなく、「コンピュータ翻訳のすべて」「マイクロ・コンピュータによる音声処理システム」といった先端的な研究論文が掲げられている。最後の1995年版の「雑誌論文一覧」の「ことばと機械」には、細分類として「コンピュータ言語学」「言語の機械処理」「機械翻訳」「言語情報の検索法」「その他」の小見出しが立てられている。この10年間に細分類が必要なほどに研究領域が拡充してきたのである。
ところで、近年は、国際化の状況に関連して、日本人の、特に国際共通語としての英語習得の不得手の問題がクローズアップされている。それは、一方では日本語だけで豊かな社会生活を送ることができる幸せな状況を表しているのであるが、ここではその問題は置くことにする。日本人の英語習得の弱さは、例えばTOEFLの成果が他の国々に比して大変低いという危機的な事態で示されている。そして、次のような打開策が論じられている。
1 通訳者養成の積極的な政策を講ずる必要がある――国立国語研究所は通訳者養成の計画を提唱する責任があるのではないか。
2 機器による同時通訳――英語をそのままこなれた日本語に言い換える、また、逆に日本語を英語に即座に言い換える機器を開発する。
3 日本人の英語聴解能力の育成を図る――例えば日本人の苦手とする「L」と「R」の聞き取りを訓練するソフトウェアを普及させる。
4 日本人の英語によるスピーチ能力の育成を図る――これについても各種のソフトが開発されている。
5 仮名表記を工夫して日本語にない発音に慣れさせる ――「ブ」に対して「ヴ」を設けたのと同様、例えば「L」と「R」を区別する新しい仮名表記を考案する。
6 日本語表記にローマ字を採用し、外来語は原語表示とする。また、外来語の略語及び和製英語は認めない。
7 日本の公用語を英語に切り換える――学校で使用する言語を英語とする。
これら7項目は、日本人の現状としての言語環境を保持する立場に立って順に配列している。そして、最後の7は、国民の常識を超えた改革案であるので、これ以上の言及を避けたい。6は、インターネットなどの上でも便利だと説く人がいる。5は、例えば鼻濁音の表記を、戦前には片仮名のカキクケコに濁音の○を打つ試みもあったということで、何らかの試みがありうると思われるが、「ことばと機械」とは無関係であるので、これもこれ以上言及しない。1の通訳者養成の課題についても同様である。
さて、残りの2~4の問題については、現在、様々な取り組みが行われている。問題は、それらの研究や開発が理工系の言語研究者によって行われていて、文科系の言語研究者は発想や意識に大幅な立ち遅れがあることである。先の『国語年鑑』の各研究業績に明かなように、昭和40年代までは、言語研究は言語研究者でなければ成立しがたい状態にあった。ところが、昭和50年代以降は、理工系の知見と先端的な機器を使用した言語研究が行われはじめたのに対して、文科系の言語研究は、予算上、研究に実験器具等を使用しない非実験系列に配置されている関係もあって、高額な機器を駆使した調査研究などは思いもよらない感じになっている。
少なくとも国立国語研究所の予算の枠組みは、非実験でなく実験枠に含めて欲しいところであるが、では、実験枠になれたら、それで全部が片付いて、後はお任せあれ、という先端的な研究が期待できるかといえば、やはりそうはいかないであろう。国立国語研究所の多くの研究員の発想が文科系でしかないからである。最近、ATR人間情報通信研究所でMRIを駆使して発声時の音声器官の運動をとらえているのを見せていただいて、羨ましく思ったが、これなどは、国立国語研究所が実験枠に入ったからといってできることではない。
国語研究所の各研究員の多くは、文学部出身で、言語研究の、いわゆる文科系的な基礎基本の研究能力は高度に具備しているが、言語研究のために機器を開発する力はもっていない。それゆえ、どうしても理工系の研究者と共同研究を行う必要があるわけである。共同研究を行う上で、文科系の研究者に求められることは、言語に関する科学的あるいは客観的な知識である。言い換えると、言語に関する深くて広い知識と探求心を有する人である。そして、文科系の立場から言わなければならないことについては、きちんと発言することも必要であり、実用的な研究開発に気後れをもたないことである。
私の夢は、文科系の研究者が、自分たちだけで閉ざされた集団を作って従来型の非実験的な研究を行うのでなく、自ら働きかけて理工系の研究者集団と一緒に言語問題を研究して、実用的な機器の作成にまで立ち向かうといった共同研究の実現である。そのためには、まず理工系の研究者から一緒にどうかと誘いを受けるような研究者の養成を期さなければならない。