巻頭言

人間大学「マルチメディア」に出演して

長尾 眞(京都大学 総長)

 7月から9月末まで12週にわたって毎週1回NHK教育テレビの人間大学というのに出演しました。昨年の秋に電話で依頼があり、「これまで自分の研究して来たことをしゃべればいいんです」というので軽い気持で引受けました。その後忙しさにまぎれてすっかり忘れていたところ、今年の2月末になって3月いっぱいでマルチメディアについて12回分のテキストを書いてくれと言って来ましたので実のところあわてました。4月からは工学研究科長になるはめになり、そのための勉強もしなければならないし、3月はそうでなくても忙しい月だからです。しかし今さらやめるというわけにもゆかず、大いそぎで原稿とイラストを書いて送ったこともあって、細部でいくつか間違いが残ってしまって、読者や関係の方々に申しわけなく思っております。
 内容的には、自分のこれまでの研究を中心として話をすればよいと言われたことと、マルチメディアの中心的なことはコンテンツの取り扱い方とその統合化、利用者にとってマルチメディアとはどういうことかということを概略的に知ってもらうということなどから、マルチメディアを支えるディジタル通信技術やソフトウェア技術にはほとんど時間をさけませんでした。また情報圧縮技術、暗号技術などの話もできませんでした。電子情報通信学会の皆様方にとっては大変なご不満だったかと存じますが、お許し下さい。「マルチメディア:21世紀の見取り図」というすばらしい題はNHK出版の方でつけて下さったのですが、内容は少々名前負けの感なきにしもあらずです。
 テレビの録画は2回分(つまり30分を2つ)を一度に行なうことで6回NHK京都放送局へゆきました。これまでに何度かテレビに出たことがあるので大したことでもないと思って行ったのですが、これは全くちがっていました。過去に出た時は別に1人~2人の相手がいて、対話と図面・録画を使って進めますので、相手が話している間はこちらが次に話すことを考える時間があるのですが、1人で30分、いや、きっちりと29分30秒で終らせねばなりませんし、途中で10秒たりとももたもたしているわけにもいかず、またずっとカメラに向かって語りかけねばならないことなど、なれないことばかりで、毎回不満の残る出演となってしまいました。以上はつまらないことですが、きっと皆さんもそのうちにテレビに出演する機会がおありでしょうから老婆心からお伝えしておきます。
 さて、やってみますと自分が何も分っていなかったということがよく分りました。マルチメディアとはどう定義すればよいのか、この言葉はいつ、誰が始めて使ったのだろうか、情報の時代、マルチメディアの時代というけれど、いつからその時代となった(なる)のだろうか、その前とその後では何が決定的にちがうのか、情報に価値を認める時代というが、その値段はどうしてきまるのか、その決定要因は何か、といった疑問が次々と出て来て、いずれもほとんどうまく答えられないのです。皆さんの答えはどんなのでしょうかぜひ教えていただきたいと思っております。
 マルチメディアの話をするのですから、この話をマルチメディア的にする工夫をもっとすべきだったと反省しております。CD-ROMやインターネットを利用したデモをいっしょに出演した女性にしてもらいましたが、あとは主としてイラストを使うだけで、歯切れの悪い関西弁でだらだらと話をするという結果になってしまいました。関東向けには歯切れのよい標準語に自動変換してくれる装置があったらと思ったりしました。コンピュータグラフィクスや音声・音楽、合成音声などをうまくまじえながらやるといった工夫をすればよかったと思いますが、そのためには準備にぼう大な時間と費用がかかったでしょう。そのうちに皆さんの努力によって、こういったことが素人でも簡単に安くやれるようになるのでしょうね。
 ただここには1つ大きな問題がひそんでおります。それは著作権問題です。何回目かの録画にスタジオに行った時のことです。話の途中であるCD-ROMのある部分を数頁使ってデモをしながら話を進める予定にしておりました。ところがそのCD-ROMの使用許可を出版社からとっていなかったことに気づいて、電話をして許可のお願いをしましたところ、使用箇所、使用目的等々を書面にして送ってくれれば検討して返事をするというのです。ビデオ取りは30分後にしなければなりません。この素材を使えば、きっと良い宣伝になってCD-ROMがもっと売れることは間違いないと思われるのですが、簡単には許可してくれません。それというのもその数頁のほんの1部にその出版社が他人から著作権許諾を得て使っている写真があって、その人からの許可がないと出版社としてこちらに許可を出せないという事情があったのです。
 マルチメディア時代は一見ばら色の世界ですが、あらゆる人が情報の所有権を主張する時代でもありますから、ほんとうに情報が自由に活用できることになるのかどうか、大変な問題です。著作権という考え方が確立し、これが法律として整備された時代、その時代背景と今日とでは状況が全くちがうということ、また知識や情報はお互いに広く分け与えあい、子孫に伝承してゆくべきものであるといった立場の法哲学的考察から、情報に対する権利の全く新しい法律を整備しなければならないのではないでしょうか。いずれにしても数分間分の材料が使えなくて四苦八苦のビデオ取りとなりました。
 それにしてもNHKのスタッフの強力な支援能力には感心しました。このようなデータを使いたいとか、このような映像を1分間分使いたいとか言うと、2~3日のうちにそれを提供していただけるのです。そしてこのような内容をこのような図を使って話をしたいといいますと、その説明は普通の人には分りづらいからこのように説明してはどうかとか、この図はもっとこのように書いた方がよいだろうとか、話の筋からするとこの部分はカットした方が全体的に理解しやすいのではないかとか、いろいろと忠告して下さるのです。そして図の書きなおしなどは録画のちょっと前に数分間でやってもらえるというのも驚異でした。
 そこでつくづく考えたのですが、毎週やっいる大学の講義についても、このような強力な支援スタッフがいて、リハーサルをやって学生が分りにくいとことを改善し、良い教材を豊富に用意して教室に望むことが出来たら、どれほど学生にとってよいだろう、ということでした。支援スタッフがいなくても、相当な努力をして準備をする心がまえを持てば授業が抜本的に改良できることは間違いありません。 NHKの放送であれば、教育テレビの夜おそくの番組でも、少くとも全国で数万人は聞いて下さっているわけですから、50人~100人の教室とはどうしても心がまえがちがって来ます。小人数の場合にはまた違ったそれなりの授業の仕方があるのは当然ですが、ついつい手を抜いてしまいがちです。しかし全力投球でやるという心がまえは同じでなければならないでしょう。もしそういった心がまえが持ちにくいようでしたら、教室の授業も録画したり、インターネットに流したりして、「不特定多数の人が見ているよ」という状況を作れば、いやおうなく努力をすることになるでしょう。貴重な経験でした。
 「あなたのテレビ見ましたよ」と言って下さるほとんどの方は、いっしょに出ていた若い女性は誰ですか、と聞かれます。彼女は斉藤さんといって私の研究室の手伝いに来てくれている女性です。現在、研究室では日本語テキストを解析し、種々の文法情報を付加したタグ付きテキストコーパスの構築を行っていますが、これをチェックし間違っているところを修正する作業をコンピュータ上でやってもらっております。大変すぐれた能力を持った方で、テレビではもっと前面に出て来てもらってやった方が私にとっても見て下さっている方々にとってもよかったのではないかと反省しております。
 テレビでは全く気づかないことですが実はもっと大変な裏方の仕事を研究室の人達にやってもらったのです。助手の黒橋禎夫君はスタジオへのインターネット機能の持ち込みから教材作りについてのアドバイス、斉藤さんのデモの手伝い、私がいないときのNHKとの詳しい打合せ、大学院の学生の動員など、ほとんど全てのことをやってくれました。彼の支援がなければほとんどうまくゆかなかったでしょう。
 京都大学では平成9年度から総合情報メディアセンターをスタートさせ、コンピュータ・リテラシーと言語学習を全学的に行うほかに、各種授業におけるマルチメディア技術・マルチメディア教材の利用、マルチメディア教材作りの支援などを行うべく努力をはじめておりますが、今回のテレビ出演に関連して苦労したほとんど全てのことは近い将来この総合情報メディアセンターの技術によって何の苦もなくできることになるべきだろうと期待しております。
 最後に出演にあたっていくつかの企業に大切な資料・装置をお借りし、また現地撮影等にご協力いただきました。この場を貸りてお礼を申し上げます。