研究室めぐり

理化学研究所 国際フロンティア研究システム 情報処理研究グループ 甘利研究室

池袋から電車で12分、埼玉県に入ったところに和光市がある、ここにある理化学研究所とは、科学技術庁傘下の特殊法人で、創立以来80年になろうとする研究所である。約50の研究室、400人ほどの正規定員の研究者がいるわけだが、ここには国際フロンティアという面白いシステムがある。とかく固定しがちな研究室構成をさけて、未知の可能性を秘めた先端的テーマを、自由な環境のもとでプロジェクトとして8~15年自由に研究し、これが学問として定着するならあとは恒常的な組織に引き渡そうというのである。
これが国際フロンティアで、和光市にある理研に現在6グループ 18研究チームがあり、 250人ほどの研究者がいる。このうち、脳・神経科学研究部門として3グループ10研究チームが編成されている。1チームは10名前後の編成で、パーマネントな研究ポストは一つもない代わりに、リーダーの指揮のもと、恵まれた環境のもとで国際的に研究を進めようという構想である。事実、研究員の1/3は日本人ではないから、公用語は英語となる。
情報処理研究グループは、脳の仕組みを理論の立場から解明するために2年半前に設置された。ここには、脳回路モデル、情報表現、知能実現機能の三チームがあり、それぞれ田中繁、甘利俊一、A.Cichockiがリーダーとなっている。田中繁はNECを退職してこの世界に飛び込んできたし、甘利は東大を停年で来たもののまだまだ若いものには負けないと気をはいている。Cichocki はワルシャワ工科大学からの長期出向である。脳は人間の精神の源であり、高度の知的情報処理を行う器官である。人間を知ること、またその情報処理の仕組みを知ることは、将来の人間を中心とする科学技術の根幹をなすものである。このためには、単に生物的な実在としての脳を調べるだけでなく、その情報原理やシステムとしての原理を研究する必要があり、情報科学や数理工学などの理論的なアプローチが必要になる。こうして、脳神経科学研究の中に情報処理グループが設立されたのであった。
このなかで、脳回路モデルチームは、現実の脳の回路にできるだけ忠実なモデルを作り、その解析を通じて脳の秘密に迫る。情報表現チームは抽象的なモデルをもとに、脳型の情報原理を数理的に探究し、あわよくば情報科学の新しい体系を築きたいと考えている。知能実現機能チームは、脳システムを工学的に構成してみると共に、ニューラルネット型の応用技術をも目指している。
情報表現チームが甘利の研究室というわけであるが、ここには村田昇、S.B,H.Yang,J.Basak の4人のフロンティア研究員(日本、ドイツ、才一ストラリア、インド)が研究を続けている。まだ何名かの外国人の参加が予定されており、この他5人の基礎科学特別研究生、フランスからの STAフェロー、東工大からの大学院生、コンピュータの面倒を見る女性(オーストラリア)からなる国際編成である。これに、日本に不慣れな外国人を英語で助け、あらゆる雑務をこなし、 LaTexを打ち、それに教授のコンピュータの手助けまでする秘書の浪岡恵美さん、週一度助けに来る東大時代からの濱川ゆかりさんがいる。また、外国からのビジターはひっきりなしできわめて多い。
理論の研究は、つまるところ個人の創意である。私の役目は、各人がそれぞれの創造性をのびのびと生かせる環境を作ることである。そのために共同でインフォーマルセミナーを持ち、また私自身も自分の研究過程、すなわちアイデアがどのようにして生まれ発展していくかその過程を公開することで、研究の良い手本を作らねばならないと考えている。国際交流も重要であるから、国際会議への出席を奨励している。ここが脳理論研究の国際的な中心とならねばならないからである。
具体的な研究テーマは多岐にわたっている。神経回路網の学習能力や汎化能力を統計・情報論的手法や統計物理的手法で調べるもの、情報幾何を用いるニューロ多様体などの理論、神経場のダイナミックスや自己組織化などから、カオスを利用した情報処理、複雑系、陰マルコフモデルと音声認識など、自由に拡がっていく。認知の不変性や、海馬と記憶のダイナミックス、双方向性情報処理など、もっと脳に直結したものも、これから調べてみたい。
最近のテーマの一つに、情報源分離問題がある。これは多数の独立な情報源からの信号が混合したものを多数観測して、混合の係数などは未知のときでも個々の独立な源信号を適応的に抽出する問題で、カクテルパーティ効果とも呼ばれる。この問題は、信号処理、情報理論、統計、そして情報幾何が複合している問題であり、いまでは我々の提唱している理論と方式が一番良いということで世界的に注目されている。これを脳のEEG やMEGデータの解析に応用したいのである。
21世紀は人間中心の科学、とりわけそのための情報の科学技術が一つの中心課題になるであろう。脳科学は人工知能をも含む情報の科学として発展していくだろう。理研では、10月から脳科学総合研究センターを発足させ、フロンティア研究の脳関連のチームはここに移る。ここでは、「脳を知る」、「脳を守る」、「脳を創る」の三部門をもうけ、数年のうちに50を超える研究チームを結集し、世界の研究センターとして機能させる予定である。「脳を創る」部門ではデバイス、システムアーキテクチャ、アルゴリズムと理論を含んだ脳型の情報処理システムを構築し、これにより脳の原理の解明に挑む。
新しい研究所も定員を持たない、全員が流動研究員のシステムである。このようなシステムの長所を生かし、若手研究者の活気と創造性の芽をのばしつつ、大きな成果を蓄積すること、国際交流を活性化して国内はもとより国際的なセンターとして機能させることが、我々のねらいなのである。幸い、現在の研究者はみな自由な活動をエンジョイしているように見える。外国からの来訪者も絶えず、ここで仕事したいという希望者も多い。「脳を創る」という新しい研究の方向と新しい研究システムを発展させるために、大学企業を問わず情報システムソサイエティの研究者との交流を今後活溌に行っていきたい。