報告

ソサイエティ大会 パネル討論「信号処理の教育はこれでよいか」 報告

(村松正吾 (新潟大))

10月2日(月)午前、2000年ソサイエティ大会において、回路とシステム (CAS)研究専門委員会の企画による標記パネル討論が行われた。まず、CAS研究専門 委員会委員長兼座長である新潟大の菊池久和氏による挨拶とパネリスト、コメンテー タの紹介で幕を開けた。
座長挨拶では、現在の信号処理が情報技術(IT)を中心に必要不可欠な技術である とこと、そして信号処理技術者の人材育成がますます益々重要になっているとの指摘 がなされた。しかしながら、信号処理の包含するスペクトルは広く、アナログとデジ タル、大学と産業界、サイエンスとテクノロジー、日本と外国など立場の違いによ り、その教育に対する考えも異なる。このような状況において、個々の学生が専門家 として成長を遂げるためのコヒーレンスを確保した学部・大学院における信号処理教 育が如何にあるべきかを討論するとの主旨が述べられた。
本討論のパネリストは、座長挨拶を反映した形で、さまざまな立場の方々にご講演 いただいた。

また、コメンテータとして、東京理科大学の関根慶太郎氏、金沢工業大学の武部幹 氏、東京都立大学の貴家仁志氏を迎えた。残念ながら、当日ご参加いただけなかった が、東北大の川又政征氏から、日本のディジタル信号処理教育に関する詳細な調査結 果と教育2000問題における大学の対策案が届けられ、会場で座長より紹介された。
講演後の討論では、フロア、コメンテータのみならず、会場からの参加もあり、当 初の期待以上に活発な議論が展開された。内容は、信号処理教育にとどまらず、学生 の資質、大学が抱える問題、産業界からの不満、産業界の責任など教育の根本的な問 題にまで議論が及んだ。
筆者の感想としては、今回の討論は、さまざまな立場の方々が率直な屈託のない意 見を交換し合ったことにより、非常に有益な議論が展開されたように思う。パネリス ト、コメンテータ、会場から出された意見は、それぞれが貴重であり、筆者が発言者 の名前も挙げずに数行にまとめ、埋もれさせてしまうのことに躊躇したため、当日の やりとりをほぼ掲載することにした。討論後、菊池座長から、``忙しい人ばかりで、 せっかくの議論を具体化する時間がないのが残念だ''との発言があった。せめて、こ の報告書によって、関心を持つ方が増え、信号処理教育の改革が具体化されればよい と願う。

-- 講演内容 --

  1. 西原明法氏(東工大)

    ``信号処理としての回路理論と DSP First'''

    海外では70年代既に、ディジタル信号処理(DSP)の早期教育が提唱されていた。 また、ICASSP93,ISCAS95 などではDSP教育に関するセッションが設けられ、DSP教育 に関する関心が高い。日本においても、DSP教育者会議や今回のパネル討論など、こ こ数年DSP教育に関する議論が盛んになっている。
    アナログ信号処理(ASP)と比べたときのDSPの特徴として、パソコン(PC)上で原理 の実現や動作の確認が可能な点がある。海外では、"DSP First" というテキストが出 版され、ASPよりもDSPを先に学ぶ試みがなされている。このようなアプローチはPC世 代の教育に適しているのではないか?まず、線形システムやスペクトルの理解をDSP で学ぶことを薦める。昔のラジオ少年が回路理論を学んだときの喜びは、今のパソコ ン少年には通用しない。信号処理を学ぶことによる実感の方が効果が高い。しかし、 DSPは単なるソフトウェアではなく、回路理論的な洞察も必要である。古典回路合成 論と信号処理には深い関係があり、ウェーブフィルタなど回路理論に基づくものも少 なくない。
    パソコン少年には、DSP First を、より深い理解のために回路理論の教育を提唱す る。

  2. 酒井英昭氏(京大)

    ``数理的視点から見た信号処理教育について''

    電気屋ではなく、数理屋として信号処理教育に対する意見を述べる。これまでの信 号処理の代表的な研究例を挙げると、FFT、音声合成、音声認識、適応フィルタな ど、数学ベースのものがほとんどである。Cooley と Turkey による FFT の論文 は、Mathematics of Cumputation という数学の雑誌に掲載されたものであり、音声 合成の PARCOR は数学の直交多項式を回路化したものである。
    このように信号処理の最先端の研究が数学ベースの結果に依存している状況に、教 育も反映されるべきである。DSPは虚の世界であり、物理的実態から離れたもので り、数式の操作が本質的である。しかしながら、従来の信号処理の教科書では、微分 積分や確率統計などが手薄となっている。
    ICASSP2000の国別発表件数では、日本は、米国、仏国、英国に及んでいない。第三 者的な立場から、数学に重点を置いたDSP教育をしっかりしてもらいたい。

  3. 谷本洋氏(北見工大)

    ``アナログ信号処理と電子回路教育''

    産業界から大学へ移り、約半年がたった。まず問題なのが、特に電気系では、信号 処理自体が講義科目として存在しないことが多いことである。回路理論、電子回路、 制御理論などの講義で教育しているようだ。DSP First に関しては、物理的制約が少 なく、本質だけが学べる利点はあるが、バーチャル化の恐れがる。また、設計(CAD) ツールの発達によって、理解できなくても設計できてしまい、シミュレーションに頼 り、物理的感覚が鈍化してしまう問題がある。一体、今後は誰がCADツールを作るの か?
    アナログ電子回路における信号処理の側面としては、発信回路、増幅回路、変復調 回路、AD/DA変換回路が挙げられる。先進的受信機を例にあげると、IC化が目的であ り、ディジタル変調があるため、DSPは不可欠である。しかし、AD変換をどこでやる のか?HDDのリードチャネル等価器など、ASPとDSPをどこで切り分けるか?回路規 模、消費電力、A/D変換の分解能に影響があり、ASP, DSPそれぞれの問題の話では終 わらない。システム全体の最適化として、ASPとDSPの分担を決めるべきである。
    このような状況においては、ASPとDSPの相互乗り入れ(融合)が必要である。 ASP、DSPそれぞれだけでは実社会では通用しない。信号処理の統一的な教育が不可欠 である。実践材料としては、SCFやΔΣ変調などがある。ASP First か DSP First か は、学生がリアリティを感じられる方がよい。

  4. パノス・パパミハリス氏(テキサス・インスツルメンツ社)

    ``Expectations and Reality of the Signal Processing Eduation in Japan

    携帯電話、CD/DVDなど、ディジタルの世界が広がっている。IT(情報技術)は多く のDSPから成っており、産業界にとって重要であり、政治までもが関心を持ってい る。DSPの利点として、アルゴリズムが変わっても、プロセッサで処理するという方 法が変わらない点がある。学生は、信号処理プロセッサを使うことで、プログラマビ リティ、実時間、低消費電力、低コストなど、DSPが現実のものであるという理解は できる。
    企業には、新入社員に教育を施すための十分な時間はない。米国の産業界が学生に 期待するのは、優秀かつ柔軟(新分野に対応可能)であること、DSPの理論的知識と 経験である。大学には十分な数のDSP技術者の供給を期待する。日本の産業界でも、 優秀かつ柔軟な学生を期待するが、1,2年の社員教育をわざわざ行っている。これ は、日本の産業界に悪影響を及ぼしている。
    日本の教育における欠点は次のとおりである。限られた表面的なDSPしか提示して いないこと。DSPの卒業者がほとんどいないこと。学生を雇うというアシスタント シップの制限。言語の壁。そして、産業界と共同研究を行おうという教員のモチベー ションの低さである。日本の産業界はただ献金をするのみであり、プレッシャーがな い。これでは、優秀だが知識・経験の弱い技術者しか育たない。
    何をすべきか?産業界は、大学へDSPのツールを供給すべきである。インターン シップを行うべきである。そして、プロジェクトの支援を行うべきである。一方、大 学は、学部におけるDSPの講義科目を持つべきである。DSPの卒業研究を行うべきであ る。インターンシップを活用し、プロジェクトの支援を受け、DSPの教員を増やし、 DSPの応用を重要視すべきである。

  5. 川又政征氏(東北大)[代理:菊池久和座長

    ``ディジタル信号処理教育の現状と課題''

    日本におけるDSP教育の平均的な姿。DSP教科書の問題。教育の2000年問題。ASP First か DSP First か。について述べる。
    調査結果より、DSP教育の平均像は次のとおりである。ソフトウェア(MATLABな ど)の利用はまだ少ない。学部においては、3年前期、後期の開講が多く、選択か選 択必修である。大学院に置いては、基礎理論、通信、画像、統計、音声、情報理論な どの名称で開講されている。
    DSPに関する教科書のページ数を調べたところ、和書では平均231ページ。洋書 では平均443ページであった。和書は6割程度であり、より深めた勉強ができない のではないかと危惧する。
    また、教育2000年問題がある。高校では2003年に完全週休5日制となり、理科と数 学の時間が1/3に削減される。結果として、学力低下が懸念される。一方では、コン ピュータ、インターネットの教育が増加する。大学内の対策としては、DSP教育のレ ベルダウン、もしくは開講時期を遅らせる必要があるだろう。
    教育2000年問題に対応するDSPの基礎教育において、ASP First か DSP First かと いう問題では、ディジタルとアナログの対応、例えば、離散時間システムと電気回 路、数列と関数、差分方程式と微分積分などを見ると、ディジタルの方がシンプルで 入門者向きではないか?DSP First がよいだろう。

-- 討論内容 --

以上